職業に関する話

需要があるのか灯油の訪問販売業者さんが増えたように思います

決まった曜日と時間に「雪やこんこ あられやこんこ♪降っては降っては ずんずん積る♪」というBGMを鳴らしながら、団地に灯油屋さんが回ってきます。

その灯油屋さんから灯油を買っているのですが、三ヶ月ほど前に業者さんに聞いたところによると、この辺りを回っている灯油配達業者は三社だそうです。

最近気が付いたのですが、その灯油配達業者の数が五社くらいに増えているんじゃないかと思います。

BGMは同じですが、曜日と時間がみんなバラけていてクルマも違うようですし。

ということは、この商売は需要があるということでしょう。

これ以外に回ってくる業者といえば、リサイクル屋さんくらいしかありません、

私が子供の頃は、ロバのパン屋さんとか石焼き芋屋さんなどが回ってきていたのですが、今はほとんど見かけないので、訪問販売のような形態は商売にならないんだと思っていました。

昔東京の上高井戸に住んでいた頃、決まった曜日と時間に、「こんにちは〜、野菜屋で〜す!」と大声を張り上げて野菜屋さんがやってきていました。

そのマンションは家賃の割に広めの部屋が気に入っていたのですが、環八沿いでうるさくて、駅やスーパーまで少し遠い場所にありました。

理想の仕事を想像することは精神衛生上とてもいいように思います

NHKが1973年から5年ごとに「日本人の意識調査」を行っているようですね。

その中で「理想の仕事」についての項目があります。

リストの中から選ぶやり方で、2018年の調査ですが、1位は「働く時間が短い仕事」、2位は「失業の心配がない仕事」、3位は「健康をそこなう心配がない仕事」、・・・と続きます。

私は向いていない仕事をやるときの苦痛を体験したので、私ならば8位の「専門知識や特技が生かせる仕事」を選びます。

そしてその方向で理想をいうならば、「好きなことをやっていたら、それが仕事になっていた」なんてことになれば最高だと思っています。

例えば、プラモデルを制作してそれを売る造形作家はそれに近いかもしれません。

現実的にそんな仕事はほとんどないと思いますが、それでも理想の形を思い描くことは、就職して後悔するリスクを軽減することにつながるので、意味はあると思います。

ブログでたまに年をとってからやりたい仕事のことを書いていますが、その仕事も理想の形を絶えず考えながら内容を詰めています。

好きなことで需要が見込め、飽きが来ないように複数の仕事を組み合わせるようにしているつもりです。

今までうまくいくことを実感できていない仕事を選んで失敗してきました

何年か前から、宝彩有菜さんの「始めよう。瞑想」(光文社知恵の森文庫)という本を参考に、ほんの数分間、坐禅の真似事を続けていました。

頭の中でいろいろな考えが浮かんできても、「瞑想が終わってから考えよう」というように、雑念を「棚上げ」することでいい具合に頭を休めることができます。

しかし、本に書かれている体の姿勢や時間などに従わず、自分の都合のいいように簡易的にアレンジしていたため、上達している感覚はありませんでした。これは本の通りにしない私の方が悪いですね。

そんななか、ティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈気づき〉の瞑想」と「ブッダの〈呼吸〉の瞑想」(共に野草社)という本に書いてある瞑想をやってみると、これが何ともいい感じに心が落ち着きます。

「息を吸いながら○○、息を吐きながら○○」などと唱えながら、呼吸の瞑想をするだけなのですが。

そんなことがあって以来、ティク・ナット・ハンさんの瞑想を毎日少しずつ続けています。

何でこんなことを書いているかというと、仕事をするにしろブログなどで情報を発信するにしろ、自分で実感したことじゃないと説得力がないということ。

たまにブログに、年をとってからできる仕事のことを書いていますが、できそうな仕事の候補はけっこうあるんですよね。

自分はいつまでITの仕事ができるのか考えてしまいました

久しぶりにホームページ制作の仕事が入りました。

このような仕事やスクリプトを書く仕事などは、知人を通して入ってくることがあります。

打ち合わせをしたあと仕様を考えますが、特殊なWebサイトでない限りWordPressで作ることになると思います。

ホームページの仕事を積極的に受けていたのはずいぶん前なので、カスタマイズのやり方を思い出さなければなりません。

当時はテーマのTwenty Thirteenをカスタマイズしていたのですが、さすがに新しいのを使わないと古いテーマは今後のサポートが心配です。

そうなると新しいテーマの構造から調べることになりますね。大変だな、どうしようかな・・・。

昨日はブログで、ASK アクティブシニア交流会さんにお伺いすると、十数年後の自分の体の変化を想像できて参考になる、ということを書きました。

会員の方が雑談で、「七十代になるとビジネスの現場で付いて行けなくなることがある」というようなことをお話されるんですね。

今日ホームページ制作のことを考えていると、自分はいつまでこの仕事ができるのだろうと思ってしまいました。

舞い上がって一つの仕事だけを準備するのではなく複数準備しておこうと思いました

以前より年をとってもできる仕事を考えていて、大体何をするかは決まったので、少しずつ準備を始めています。

ただ決まったのは仕事のカテゴリーなので、ホームページなどで情報発信することになると、細かいことまで決める必要が出てきます。

例えばその仕事のカテゴリーが音楽関連だとすると、メインのジャンルはポップスなのかジャズなのかクラシックなのかですね。

もちろん、音楽ライターをやるのか音楽喫茶をやるのか○○をやるのか△△をやるのか・・・で変わってきますが、自分の嗜好やお客さんの数が見込めるジャンルを総合して決める必要があります。

私は音楽全般を聴きますが、クラシックの古楽が好きだったりします。

私には才能がないので音楽ライターは無理なのですが、もし私が音楽ライターを目指していたとして、来る仕事を拒まずでやり始めたとしますよね。たぶん古楽の原稿を書く機会はあまりないんじゃないかなぁ。

こういう場合はどこかの時点でその仕事にめげると思うので、最初から仕事に音楽ライターを選ばない方がいいかもしれません。

私の嗜好は極端ですので、実際は自分の好きなジャンルと一致する音楽の原稿を、たまに書くことになると思います。

何事もタイミングなのでやりたいことの準備だけは楽しんでしようと思います

初詣で近所の神社に行く途中、中型や大型のバイクに乗っている人を何人も見ました。

いい天気でしたので、峠に走りに行っていたのだと思います。

先日ブログで、バイクの車検証を一時抹消登録していることを書きましたが、機会があればまた乗りたいと思っているのです。

しかし今は優先してやらなければならないことがあり、バイクに乗るのは難しいです。

そもそもバイクに乗り始めたのは、体を壊して実家に帰ってきて悶々としていたときに、ふと思い立って大型バイクの免許を取ったのがきっかけです。

子供の頃から興味はあったのですが、大学から東京に出てそのまま社会人になったので、乗る機会がなかったんですね。

免許を取る時間もなかったですし、東京でバイクのために駐車場を借りるという発想もありませんでした。

そういう意味では、バイクに乗るのもタイミングだなぁと思います。

バイクだけじゃなく全てがそうですね。就職なんて特にそうです。

今の仕事も、学生のときパソコンを買って遊んでいたら、友達からバイトを紹介されてそのままバイト先の会社に居着いたのが切っ掛けです。

久しぶりにMBTIで自分の性格と向いている仕事を再確認していました

今日インターネットを見ていたら、ユングのタイプ論「MBTI」がテーマのWebサイトに行き当たりました。

私も以前、ポール・D・ティーガー、他著「あなたの天職がわかる16の性格」(主婦の友社)を買ってやってみたことがあります。

私が持っているのは「2008年10月1日 第3刷発行」とあるので、十年前のものですね。

当時は病気から回復したものの社会生活がままならず、このままじゃまずいと思って、自分に向いている仕事の再確認をしていた時期です。自分の性格や適職はずいぶん参考になりました。

参考にはなったのですが、向いている仕事リストのどれかにありつくこともなく、当時の仕事を今も続けています。

さて冒頭のWebサイトですが、「MBTI」がテーマのWebサイトはかなりあります。

「あなたの天職がわかる16の性格」は情報量が多いので、当時は他のタイプとの違いなどを自分の中で消化し切れなかったのですが、Webサイトによっては情報がスッキリしたものもあって、自分のタイプが明確に分かります。

今は年をとってもできる仕事の準備をしているので、自分で考えていた仕事は向いているかどうかの確認をしていました。

ただ、自分で考えていた仕事は適職リストにはありません。

ザギトワ選手のニュースが自分とはかけ離れた世界の話だったので衝撃を受けました

フィギュアスケートのザギトワ選手が活動休止か?引退か?というニュースが飛び交っています。

まだ若干十七歳。十七歳といえば日本では高校生。引退どころか、まだ社会のスタートにも立っていない年齢です。

確かに彼女は平昌五輪や世界選手権などで金メダルを取り、頂点を極めたわけで、本人から「やりとげた」といわれれば誰も反論できません。

私が衝撃を受けたのは噂されている引退理由です。ロシアのスケート界の若年化が進んでおり、年下の台頭が決断の背景にあるということ。

このコメントって、ベテラン選手がよく口にするフレーズじゃないですか。

どちらにしろ、このように若くしての引退はスポーツ選手特有のことなんだと思います。

私がよくお邪魔しているASK アクティブシニア交流会の会員さんは、平均年齢七十代。定年まで大企業に勤められた方が多いです。

みなさんお元気なので、この方たちならば六十代でも十分現役で頑張れたんじゃないかな、とも思えます。

ただ五十代の私でもそうですが、三十代、四十代のように馬力はありませんし、頭の回転もかなわないと思います。

なので六十歳定年も、若い人に活躍の場を譲るという意味ではしょうがないことなのかもしれません。

未経験の仕事は小さく始めてできることを増やして行く方がいいかもしれません

当たり前のことですが、商売はお客さんが選んでくれなければ成り立ちません。商売というより、仕事全般にいえることなのでしょうが。

一方で、強く望んで努力していれば、いつかはそれが実現するという話を聞きます。

後者の話は実際に実現できた人がそういっているのでしょうし、確かに実現できる人もいるのでしょう。

私にはそのような経験はありません。

やり方が悪いとか理想が高すぎるとか、いろいろな理由があるのでしょうが、結局は本人の納得感の問題だと思います。

私は社会に出てずっとITの仕事をやっていますが、どちらかといえばこれは好きな仕事です。

しかしIT業界に入ったのは強く望んで努力したからではなく、学生の頃からパソコンが好きでいつも触っていたら、友達からSE制作のアルバイトを紹介されて、そのままその会社に居ついてしまったからです。

仕事をしながらスクリプトを覚えたり、ディレクターをやったり、独立してから講師を経験したりしました。

仕事をしながら、ITというジャンルの中でできることを増やして行ったんですね。

このブログで、年をとってからやりたい仕事の準備をしていることを何度も書いていますが、その実現のために努力して行かなければと考えてきました。

私の場合、仕事選びの条件として「使命感」というのは少し違うかもしれません

よく、仕事は「好きなこと」をした方がいいのか「得意なこと」をした方がいいのか、という話を聞きます。

私自身、学生の頃からパソコンが好きだったので、それがきっかけでゲーム開発会社のアルバイトをすることになり、社会人になってもその会社で仕事をするようになりました。

その後独立して、ゲームとは関係ないアプリ開発の請負の仕事をしています。

ゲーム開発会社にいたときは、周りにはゲームが「大好き」な人たちが多く、その人達に比べれば私は好きとはいえませんでした。

それに比べてITはそれなりに好きで、それなりに得意だったんだと思います。

昨日も書きましたが、よくこのブログで、年をとったらやりたい仕事を考えているということを書いています。

ゲーム開発会社の件もありますので、年をとったらやりたい仕事は「好きかどうか」を重視しています。

そんな中、「好き」と「得意」以外に、「使命感」みたいなものもあるんじゃないかと気が付きました。

例えば体のどこかが悪くて長年苦しんでいた人が、あるときヨガに出会ってとてもよくなった。同じ悩みを抱えている人にそれを教えているうちに、仕事になってしまった・・・みたいな。