易経について

新聞の占い欄や神社のおみくじを見ないようになって自分でも驚いています

改めて思ったのですが、ここ数年新聞の占い欄や神社のおみくじは見ていません。

子供の頃、親が新聞の占い欄を見ては、「今日のあなたは○○だから気を付けなさい」といっていたので、自分も目を通すようになりました。

神社にお参りするとおみくじを引いていましたので、もともと好きだったのだと思います。

なので動物占いなど、巷で流行っているものに目を通してみて、「おおっ、当たってる」と楽しんでいました。

しかし陰陽五行や易経の勉強をするようになって、だんだん見なくなりました。

これらの思想だけでなく、これらを使った占いも学んでみると凄まじく奥が深い。

例えば四柱推命のような陰陽五行占術は、生年月日と生まれた時間、今年とこの十年間、それぞれの陰陽五行を出して判断するのですが、判断する要素が多すぎて、こんなに複雑なのかと驚いてしまいます。

易もそうですね。出た卦(か)の卦辞や関連する卦と爻(こう)の爻辞を参考に、どれだけイメージをふくらませることができるかが易者の腕の見せ所らしいのですが、私はまだ卦辞と爻辞をそのまま読むことしかできません。

易経の指摘通りダラダラと準備することをやめて計画を立て直しました

昨日の続きです。

年をとってからやりたいと思っている仕事があるのですが、七十代後半で体が思うように動かなるかもしれないと思うと、その準備ばかりしている場合じゃないというお話をしました。

実はもう一つ、準備ばかりしている場合じゃないと思ったできごとがありました。

私は易経を覚えるために、毎日「今日はどのような日になるでしょうか」と占って、その解説を読んでいます。

昨日出た卦(か)は「雷地豫」の上爻(こう)。

卦辞は、銭天牛著「すぐに役立つ銭流「易経」」(棋苑図書)によると、「”たのしい”というイミの「豫(よ)」卦。予備の予でもある。何でも準備しているときが一番たのしいとは言えます。」とあります。

上六の爻辞は、河村真光著「易経読本」(光村推古書院)によると、「冷静な判断力を失っているので、手法を改めないと後悔する。」

・・・図星です。

将来の仕事の準備にかこつけて、面白そうな本を買っては読みふけっていました。

昔、アルバイトをしながらある国家資格の受験勉強をしていた知人が、「受験勉強をしているというだけで安心しているんだよね」といっていましたが、その感覚と似ているような気がします。

凶の結果が出たときに易経を学んでいてよかったと思うことがあります

易経を覚えるために、毎日「今日はどのような日になるでしょうか」と占い、解説を読んでいます。

今日出た卦(か)は「地火明夷(めいい)」の上爻(こう)。

卦辞は「明夷は、艱貞(かんてい)に利あり。」

本田濟著「易」(朝日選書)によると、「太陽の明るさが傷つけられるという意味で明夷(明やぶる)と名付ける。 (中略) 艱難を自覚して、苦しみつつ正道を守るときのみ利益があるという。」とあります。

上爻の方は、「初めは天に登るばかりの高位ー四方の国を照らすべき高位にあるが、人の明を夷(やぶ)るようなことばかりするので、ついには自分を夷(やぶ)って、革命の旗の下に命を落とし、地に埋められる。」

ひどいいわれようです。

銭天牛著「すぐに役立つ銭流「易経」」(棋苑図書)には「大凶」とあります。

しかし易のどの解説書を見ても、このような悪い結果が出ても受け入れるようにと書いてあります。月の満ち欠けのように、いいときもあれば悪いときもあると。

私は「占い」ということを抜きにして、このような考え方にとても影響を受けました。

今日は打ち合わせがあるのでこりゃ気をつけねばと思ったのですが、それと同時に昔のことを思い出しました。

ユングが易を利用していたように易に心理療法を利用してもいいような気がします

昨日はユングの「心理療法の実践」(みすず書房)の中で、ユングが医師を前に講演をした章についてお話しました。

この章は「医学と心理療法の間に存在する、病理に関する見解の違い」について書かれています。例えば次のようなことです。

「心理療法家であれば誰しも、もしも何かができるのならば、意識的にせよ無意識的にせよ理論から離れて、時にはその人が持つ理論の中にはまったく存在しないあらゆる手段をとる場合があるはずです。」

これを読んで、ユング派の人たちが易を利用していたというのも分かる気がする、とも書きました。

私は心理療法家ではありませんが、ユングや河合隼雄さんの心理療法に関する本を読むのが好きです。

そんなことを考えていたら、逆に私が易占をやるとき、心理療法のアイデアを利用してもいいのではないかと思い付きました。

銭天牛著「すぐに役立つ銭流「易経」」(棋苑図書)には「易者の中には、失せ物が得意とか、株が得意とかいう風に、得意の分野が決まっている人がいますが、それはイメージの活動する分野の特性を示しています。」とあります。

易は、よく経営者の方が経営に関する吉凶を尋ねるときに使われている、みたいなことを聞きます。

易は「吉か凶か」ではなく「吉凶併せ持つのが人生」という発想のようです

昨日は、易の「雷沢帰妹(らいたくきまい)」という一般的に凶といわれている卦(か)について、河村真光著「易経読本」(光村推古書院)という本には決してそうではないと説明されていること、そしてその説明に易経の深い思想を教えられたことを書きました。

そこで今日は八純卦(はちじゅんか)について、この本の解説に目を通してみました。

八純卦とは八卦、つまり乾(けん)、兌(だ)、離(り)、震(しん)、巽(そん)、坎(かん)、艮(ごん)、坤(こん)、それぞれが上と下に並んだ卦のことです。

すると昨日と同じように、固定概念を覆されるような解説を見つけました。

八卦の一つ、坎は険難を意味するのですが、それが上下に二つ重なる「坎為水(かんいすい)」は、四つの代表的な悪い卦(四大難卦)の一つに数えられています。以下、抜粋です。

「坎為水を禍々しい卦などと誤解する俗易は論外としても、案外多くの人がこの卦を望ましくないものと解するのは、私にはどうしても合点がいかない。卦辞を読めばわかるように、これは一種の励ましの卦である。「艱難汝を珠にす」と同様、卦辞の「維れ心亨る」は、険難も真っ向から取り組めば、誠意は必ず天に聞き届けられると太鼓判を押し、「行けば尚ぶことあり」、そこには必ず得るものがあるといっている。」

易占は自分の深層心理や世の中の仕組みを知るものとの思いが強くなっています

先日、最近買った河村真光著「易経読本」(光村推古書院)には、ちょっと勇気をもらえる易の考え方が書いてあるということを書きました。

易経を学ぶために、一年ほど前から「今日一日の運勢」を占っているのですが、毎日のことなので当然悪い卦(か)や爻(こう)が出る日もあります。

それでも悪い結果が出た直後は、あまりいい気持ちはしません。

昨日も「雷沢帰妹(らいたくきまい)」という卦の上六の爻が出ました。

一般的な卦の説明は「進めば凶。何の利益もない」、爻も不吉な例えとともに同じようなことが書かれています。

この卦については、河村さんの本に次のような解説があります。

「帰妹の卦辞はたしかに愛想がないが、本来、「易は以て険を占うべからず」(左伝昭公十一年)が鉄則である。また易経には、随所に悲愴感と危機感に満ちた言葉が出てくる。しかし易の真髄は、本来健康な楽天主義であり、行間にひそむのは、あくまでもたくましい人間性の謳歌である。これをうっかりして、表面的な言葉だけにとらわれると、易はたちまち俗占に陥る危険性がある。」

また易経の深い思想を教えられました。

河村さんがこのような解説をされたのは、ある女性が長年この卦を恐ろしい卦だと思い込まされていた、ということがあったらしい。

同じ時期に易と仏教の本で似た記述を見つけたので印象に残りました

何度か書きましたが、易経を覚えるために毎日「今日はどのような日になるでしょうか」と易を立て、その卦(か)と爻(こう)の解説を読んでいます。

昨日の卦は火山旅。「旅行」の旅です。といっても物見遊山ではありません。

河村真光著「易経読本」(光村推古書院)によると、「心の旅路であり、それも失意の旅立ちである。」とあります。以下、抜粋です。

「何かの理由で、これまでの安住の地にいられなくなり離れる。たいていは得意の絶頂から失意のどん底に移行した時だから、何をするにも当然苦しい。となると易の出番である。 (中略) 易は偶然を否定し、あらゆる事象を必然とみなすので、得意・失意の時期も四季が巡るように循環して止まないと考えている。これが基本である。 (中略) 要するに得意も失意も永久に続くことはない。易は、失意の時期は、過ごし方一つで、逆に好機でもあると説く。」

易の考え方がよく分かりますね。

今まで、怒りなどでイライラしているとき占ってもいい結果だったり、優しい気持ちでいるとき占っても悪い結果だったりで、易はニュートラルだなと思っていました。

なぜこのようなことを書いたかというと、先日購入したティク・ナット・ハンさんの「ブッダの〈気づき〉の瞑想」(野草社)に似たような記述があったからです。

水雷屯を四大難卦と考えなくていいと聞いて創造的な易の解釈ができそうです

昨日、河村真光著「易経読本」(光村推古書院)を少しずつ読み進めていることを書きました。

今持っている易経の本と違う解釈のものが欲しかったんですね。

そう考えてみると、悪いといわれている卦(か)の解釈に作者の想いがより反映されているんじゃないかと思って、代表的なものとして四大難卦を比べてみました。

四大難卦とは「水雷屯(すいらいちゅん)」、「坎為水(かんいすい)」、「水山蹇(すいざんけん)」、「沢水困(たくすいこん)」の四つ。

ちなみに私が持っている本で四大難卦を強調しているのは銭天牛著「すぐに役立つ銭流「易経」」(棋苑図書)のみで、本田済著「易」(朝日選書)や高田眞治、後藤基巳共著「易経」(岩波文庫)はそれはありません。

やはり銭さんは占い師ですので「占いの書」寄り、他の二冊は「義理の書」(哲学の書)寄りという違いがあるからでしょうか。

冒頭の河村さんは占い師をされていたようなのですが、「水雷屯」に関しては「決して凶の卦ではない」とおっしゃいます。

易の本の解説にユングや河合隼雄さんの心理療法と同じような態度を感じました

河村真光著「易経読本」(光村推古書院)を少しずつ読み進めています。

易経の本は数冊持っているのですが、易占に寄ったのは銭天牛著「すぐに役立つ銭流「易経」」(棋苑図書)のみで、もう一冊易占寄りの本で違う解釈を知りたかったんですね。

解説を読んでいると、以前ブログに書いたライプニッツやユングが易と出会ったときのエピソードが、さらに詳しく書かれていました。最初からこの本を読んでいればよかった。

さらに易の解釈について書かれている箇所は、河合隼雄さんが心理療法を行う際の態度について書かれている箇所と、似たような印象を受けました。

「要するに卦辞にしても爻辞にしても、言葉をあまり理詰めに考えない方がよい。現実に即して、それを無理にあてはめようとする人がいるが、それはあまり良い方法だとは思えない。いっそ虚心になって、イメージとして浮かび上がるものを摑む以外にない。私は易の言葉の多くは、易の作者が、潜在的な無意識層の思考を、言葉として表したものだと思えてならない。私たちがよく見る夢のように、それは時間と空間の制約されない異次元の世界である。 (中略) 果たしてその夢をどのように判断すべきか、つまり易の言葉を解釈するにはこれと同じ要領である。」

いつもオロオロせずに固然をたのしむ境地になりたいものだと思います

易経は占って覚えるのが効率的ということなので、毎日「今日はどのような日になるでしょうか」と問うています。

昨日出た卦(か)が山風蠱(こ)。蠱は虫のこと。

本田済著「易」(朝日選書)には「食物が腐り切って蠱がわいている形(程氏)。つまり秩序が崩壊したあと、何か事を起こさねばならぬ。それが蠱である。 (中略) 壊れ切ってしまえばまた必ず治まるのが自然の道理であるから、占断としては、元(おお)いに亨(とお)るという。」とあります。

そして出た爻は四爻でした。爻辞は「六四は、父の蠱(こと)を裕(ゆる)うす。往くときは吝(りん)を見る。」

要するに「占ってこの爻を得れば、寛容に過ぎて、失敗することがあろう。」ということらしい。そうですか・・・。

いつも本田氏の本や岩波文庫の易経などの解説を見ていますが、時間があれば、高田淳著「易のはなし」(岩波新書)の卦の解説も見ます。

そこにちょっと感動的な上九の爻辞の説明がありました。以下、抜粋です。

「上九は無位の高いところに居り、時はすでにすぎているから、君子は道を楽しみ志を高くすることができる。いたずらに昔をなつかしみ、この蠱敗の世に功名をねがうべきではない。君子は固然をたのしむ。そこには得失はもとよりなく、従ってまた吉凶もない。」