世代に関する話

私の世代にとってデストロイヤーさんはバラエティに出ていた優しそうな外人さんです

プロレスラーのデストロイヤーさんがお亡くなりになったんですね。

享年88歳とのことで私の親よりも年上です。

それもそのはず。私がこの方を知っているのは、日本テレビ系列の「金曜10時!うわさのチャンネル!!」に出演されていたときの記憶がほとんどです。プロレスの試合で来日したときの相手は力道山さんとのことで、その時代のことは覚えていません。

「うわさのチャンネル」で和田アキ子さんやせんだみつおさんと共演していたときのデストロイヤーさんは、覆面をしていたので顔は分かりませんでしたが、目はとても優しそうな方でした。

当時番組をかぶりつきで見ていた記憶があるのですが、内容をよく覚えていないのは小学生だったからですかね。はるか昔です。

しかも夜10時の番組なんて、親から早く寝なさいと叱られていたに違いありません。

1970年代テレビはまだまだ高価で、ほとんどの家庭は一家に一台、居間にしか置いてなかったんじゃないでしょうか。

見るとなったら必死で見ていたと思います。

なので以前ブログに書いたように、懐かしのテレビ番組を振り返る「テレビ探偵団」のような番組が、私たち前後の世代に人気だったんだと思います。

親と嗜好が同じものが多いほど恵まれた環境で育つんだなと思いました

親戚にせっかちな性格の人がいて、血圧が高かったりいつも頭痛がひどくて困っているようです。

親兄弟を見ても穏やかな性格の人ばかりなので、「誰に似たの?」と聞いたら「お祖父さんだと思う」という答え。私から見れば曾お祖父さんです。

隔世遺伝ということになるのでしょうが、やっぱり遺伝ってあるのでしょうか。

学生のとき、親戚が私がギターを弾いていることを知って「誰に似たの?」、「さあ・・・」と会話していたのですが、確かに私と同世代以上の年齢の親戚に楽器をやる人はいませんでした。

あえていえば、祖母が日本舞踊の先生をやっていたくらいでしょうか。

私がこの年になって唯識仏教や易経に興味を持ったときも、相変わらず親とは全く趣味が違うなと思ったものですが、思い出してみると私の祖父の本棚にずらりと漢文の本が並んでいたので、今になって祖父の遺伝かもしれない思っています。

うちは二世帯住宅ではありませんでしたし、祖父、祖母に会うのは盆と正月くらいでしたので、生活環境から影響を受けるということはありません。

私の両親の生活にはギターの「ギ」の字も古典の「コ」の字もありません。

ITは怖いという感覚と世界を相手にするのはとても無理という感覚は似ているかもしれません

テニスの錦織圭選手と大坂なおみ選手が、そろって全豪オープンの8強に入ったそうですね。すごい。

錦織選手は怪我で戦線を離れていたのに見事に復活されています。

昨日は卓球の伊藤美誠選手が、全日本選手権で2年連続の3冠達成というニュースをやっていました。こちらもただただすごいです。

昨年のスウェーデンオープンで中国の主力3選手を破って優勝したことは記憶に新しいです。

毎日深夜に作業が終わってテレビをつけるのですが、よくスポーツ番組をやっているので目にするんですね。

スポーツはスポーツ番組でしか見ない私でさえ興奮するのですから、テニスファンや卓球ファンはすごいことになっているんじゃないかと思います。

先日、錦織選手とサッカーの本田圭佑選手が対談されているところを見たのですが、錦織選手が以前世界ランク4位まで上り詰めたことについて、本田選手が「サッカーでいえばメッシとやりあうようなもんでしょう。考えられない。」みたいな発言をされていました。

そうなんですよね。

これほど競技人口の多いスポーツで、個人で世界のトップランクに入るというのはとんでもないことだと思います。

私が子供の頃は、日本人にこのような人たちが出てくるなんで想像もできませんでした。

若いと思っていた有名人が年を取ったと気づくのは自分も年を取ったときかもしれません

先日、映画「ボヘミアン・ラプソディ」の取材で、クイーンのブライアン・メイとロジャー・テイラーが取材を受けている記事を見かけました。

どちらもすっかり白髪で貫禄が・・・。70歳前後ですから当たり前ですよね。

以前ブログにも書きましたが、クイーンは私が中学生になった頃にはすでに大人気でした。

クイーンの初めて買ったレコードは「キラー・クイーン」のEPで、福岡の九電記念体育館のコンサートにも二回行きましたので、私の中の彼らのビジュアルはそのときのままで止まっています。

当時ロジャー・テイラーは女性にモテモテで、雑誌ミュージック・ライフだったと思うのですが、ブロンディのデボラ・ハリーとキスしている写真が載ったことがあって、大騒ぎになっていた記憶があります。

のちにデボラ・ハリーが、欧米では気が合えば普通のことだし恋愛感情はない、みたいに受け流すインタビュー記事も見ました。

それくらいロックスターはアイドルのように注目されていたと思います。

なので映画の取材時の写真に衝撃を受けたわけです。

考えてみれば私もあと何年か経てば高齢者の仲間入りです。

親の世代にとってカレンダーや時計はあるだけで安心しているのかもしれません

ふと気が付いたのですが、私の部屋を除く家のすべての部屋にカレンダーが掛けられていました。

買ってきたものやよく利用する業者さんからもらったものなどを、親がすべて使っているようです。

トイレや洗面所のカレンダーもあれば見るとはいえ、なくても全然困らないですよね。

そういえば時計もほとんどの部屋にあります。

私は腕時計をしていませんが親は今でもしています。

もしかすると、親の世代はカレンダーや時計が目に見えるところになければ落ち着かない人が多いのかもしれません。

思い出してみると、私も中学生と高校生のときは腕時計をしていました。

なければ不安になっていた記憶があります。

なんとなく覚えているのですが、あるとき気が付いたら家の中にいても街を歩いていても至る所に時計があるので、腕時計はなくてもいいかと思って次第にしなくなりました。

そして携帯電話を持つようになったのが決定的でした。三十代から腕時計はしていません。

逆にいえば中学生、高校生の頃は至る所に時計はなかったのかもしれませんし、当時の時計は止まっていたり時刻が合っていなかったりするものが多かったように思います。

時代の総括ができたりイメージを描いたりできるので元号はとてもいいものだと思います

来年平成が終わるので時代を総括するテレビ番組や新聞記事が多いですね。

この期間に起きたことを懐かしく思ったり、反省したりできるきっかけを与えてくれるので、元号というものはとてもいいものだと思います。

西暦しかなければ、半世紀ごととか四半世紀ごととかで総括することになるのでしょうか。

もしそうだとすると、「明治維新」とか「大正ロマン」というような名称も付けられないでしょうから、ちょっと味気ないような気もします。

私が生まれた昭和は、いま会話の中で使うときは古いイメージを感じさせるために使ったりしますが、第二次世界大戦まで含んでいますから、それを考えると確かにずいぶん昔のイメージがあります。

一方で1960年代生まれだといえば、新幹線が開通したり東京オリンピックが開催されたりした高度経済成長期というイメージでしょうから、かなりイメージが違うと思います。

平成に変わったとき私はとっくに社会人になっていましたから、個人的には平成は仕事に関係する記憶がほとんどです。

最も印象深い出来事の一つはインターネットの普及じゃないかと思います。今でも同じ業界にいますから実際に大きな影響を受けています。

高齢になって自分の体の状態を高齢者用アプリに反映できれば有益だと思います

3日ほど前から急に寒くなりました。夜は寝間着の下にももひきを履いています。

書いていて思ったのですが、今は「ももひき」とか「ズボン下」とはあまりいわないみたいですね。

ちょっと調べてみると「レギンス」とか「タイツ」なんて呼んでいるらしい。

私の同級生が会話中にそんな呼び方をしたら、ちょっと笑ってしまいます。子供の頃、ももひきっていってただろうと。

話は脱線しましたが、深夜になるとももひきだけでは足りずに、使い捨てカイロを背中に貼っています。

ついこの間まで暑くてうんざりしていたのに、もうこれです。

最高気温が25度を下回っていますし、来週後半は21度くらいになるらしい。

もうちょっと過ごしやすい気候が続いてくれればいいのにと思うのですが、考えてみれば若い頃はこの程度の気温では全然寒くなかったような気もします。

季節の変わり目に体がついて行ってないんですね。

外国で暮らすとか、インターハイや国体の選手に選ばれるとか、若くして豊富な経験を積む人もいますが、このように年を取ってからじゃないと実感できない体の変化というものもあります。

自分が高齢者になったとき新しい技術にいつも不思議がることになりそうです

夕食のとき、NHKのテレビ番組「チコちゃんに叱られる」を見ることがあるのですが、私の親がチコちゃんについて、あれはどうやっているの?といつも聞いてきます。

私は毎回、コンピュータで絵を動かしているというような説明をしているのですが、当たり前ですが納得がいかないような表情をします。

私も具体的にどうやって動かしているか分からないのですが、じゃあその仕組みを知りたいかといえば特に知りたいとは思いません。

なので親が毎回不思議がるのを見て、それが不思議だと思ってしまいます。

もう亡くなったのですが、私の祖母も以前大仏さんが笑うCMのCGを見て、大仏さんが笑っているよ、と驚いたような可笑しいような反応をしていました。

そういう意味では、CGという存在を知らない人にとっては、なぜ絵が人間のようにリアルに動いているのか本当に不思議なのだと思います。

私も初めてパソコンに触ったときは、なぜこの機械で絵が動いたりするのか不思議でしたし、インターネットに触ったときも、なぜ地球の裏側にいる個人とやり取りできるのか不思議でした。

今までなかった技術が急に目の前に現れると、不思議に感じるのはどの世代でも同じだと思います。

ASKの会員さんが語られる人生がまるで小説のようでした

昨日はASK アクティブシニア交流会さんの定例交流会に参加したことを書きました。

今回の交流会は、第一部の四柱推命とパーソナルカラー診断の先生のお話が面白そうだったからです。

ところが、第二部のASKの古くからの会員さんが語る「私の履歴書」というのが、とても興味深い内容でした。

そもそもこの企画は、みなさん会員どうし顔なじみではあるのですが、各自どのような経歴をお持ちか分からないということから、それならば一人ひとりが順番で人生を振り返ってみようと始まったそうです。

ASKの会員さんは大手企業のOBの方が多いようですし、平均年齢が私より二十歳も上ですから、先の戦争を始めとして、私より下の年代より遥かに多くのことを経験されています。

西村代表はASKさんのホームページで履歴を公開されていますが、そこには出生地が中国山東省青島市で終戦の年に佐世保に引き揚げ、というようなことが書かれています。

小説のようですよね。

昨日の会員の方の「私の履歴書」では、理容師になるために東京に出たこと、前々から興味があった株式投資で大金を手にしたこと、福岡に戻ってきて塗装業、ビル改修工事業がうまく行き会社を大きくしたこと、などがリアリティを持って語られて行きます。

子供の頃の夏祭りは非日常の空間でした

今日は団地の盆踊りと子供神輿の日だったようです。

だったようです、と書くのは私は参加していないからです。

東京の生活が長かったので、福岡に帰ってきてから家の周りの方にご挨拶するくらいで、それ以外の団地の方とは子供の頃の記憶しかないので、どうも行事には参加しづらいというのもあります。

特に今日は子供会とその親御さんが中心だと思いますし。

少子化で子供の数が少ないために年々規模も小さくなっているようです。午後9時には盆踊りのBGMも止まり、静かになりました。

以前このブログでも書いたと思いますが、団地には空き家も増え、引っ越されたりした方の区画に小さなアパートが建ったりしています。

しかし、相変わらず団地の周辺には新築の家が何軒か建設中なんですね。その新築の家のすぐ近くの家には「空き家」の看板が立っています。

建設業者さんも商売上家を建てなければならないと思いますが、こういうのが続けばますます空き家は増えそうです。

今から30年くらい前だと思いますが、東京に住んでいた頃、友達と近所の団地の夏祭りに出かけたり、マンモス団地の夏祭りに遭遇したりしたことがあります。

人がたくさん集まるところには、たくさんの屋台も出ます。