心と体の話

若い頃健康だった人ほど年を取って弱くなったと感じるのかもしれません

昨日私は夏に生まれたせいか元々寒いのが苦手だったのに、年を取ってくると暑いのも苦手になってきたことを書きました。

体調が気候に影響されるのを感じるようになると、どうしても健康に気を使うようになります。

そんなことを考えていると、学生の頃、見るからに体が弱そうにしている同級生のことを思い出しました。

本人も自覚してそういっていましたし、普段から体に気を使っているように行動します。

今思うと、案外そんな人の方が高齢になっても大病せずに長生きしそうな気がします。

ASKの会員さんをはじめ、私の周りにはシニアの方が多いのですが、「70を過ぎれば急にガクッと弱くなるよ」とおっしゃる方もいれば、「そうなるのは80からだ」とおっしゃる方もいます。

弱くなったと自覚するのは個人差があるのかもしれませんが、どうも意識するのは「65歳から」、「70歳から」、「75歳から」・・・のように5歳単位のように感じます。

ただ弱くなったといっている方を見ていると、それまで大きな大病もせず、生まれつき体も弱い方ではなかった。そのような方が大病や何かの手術をされたあとに、そういわれているようにも思います。

寒いのは苦手なのに年を取ってますます寒さに弱くなりました

このところ暖かい日と肌寒い日が交互に続いたせいか、風邪をひいてしまいました。

昨夜は悪寒がするので、貼るカイロを4枚貼って寝ました。

私は寒がりで、冬は貼るカイロが手放せません。

毎年足の指が霜焼けになっていたのですが、今年から足首に貼るようになってずいぶん改善しました。

しかしこんな感じで貼る場所が増えて行ったら、最後はどうなるんだろうとちょっと怖くなります。

今日貼るカイロを二か月分買ってきたのですが、季節商品なので量販店にはもう在庫のみで残り少ないです。

去年の2月か3月だったと思うのですが、貼るカイロを買おうと天神のマツモトキヨシにふらっと寄ったら、もう置いていなくてビックリしました。

私は夏生まれだからか、もともと寒いのは苦手で、年を取るほどにますます寒さに弱くなって行くように感じます。

それどころか若い頃は平気だった夏も、近年のうだるような暑さに参ってしまうようになりました。

私の親もそうですが、冬の生まれの人はそんなに寒さに弱いイメージはないのですが、高齢になると冬は苦手になる方も多いようです。

習慣化できることはもともと潜在意識が望んでいたからのような気がします

実はこのようなやり方で習慣化したものがあります。

バイオリンと英語です。

ただこちらも「ほんの小さなことをやる」や「1分間だけやってみる」とあまり変わりません。

ですので、何年経ってもバイオリンも「弾ける」というレベルではなく、英語も「できる」というレベルではありません。

しかしこの程度の習慣でもメリットはあります。

毎日触れることで日常の一部になる、触れることが怖くなくなる、というようなこと。

昔からバイオリンの音色に憧れていたのですが、高いお金を出してどんなに練習しても「ギィーコギィーコ」という音しか出なかったらどうしようと思って、おそるおそる渋谷のイケベ楽器店で9800円のバイオリンセットを買ったことがあります。

中学校の英語は授業の記憶さえありませんし、高校の分厚いマスタリーの教科書は見ているだけでもどんよりした気分になっていました。

今ではそのようなこともないのですから。

とここまで書いてきて、昨日の坐禅を含む三つの習慣化は、潜在意識は望んでいたけれど顕在意識か何かが拒否していたことだったような気もしてきました。

坐禅もどきの習慣化に成功したようです

かなり前ですが、このブログで坐禅の真似事をやっていることを書きました。

そのときやっていたのも、禅宗のお坊さんがやっている結跏趺坐(けっかふざ)という正式な座り方はではなく、何十分も集中することでもありません。椅子に座って行う「椅子坐禅」をほんの3分や5分程度。

まさに真似事ですよね。

しかしそれでも忘れてしまう日があり、毎日できてはいませんでした。

宝彩有菜さんの「始めよう。瞑想」(光文社知恵の森文庫)という本に書いてあるとおりに、1日15分間続けていた時期もあるのですが、そのときは本当に頭がすっきりするのを実感できました。

坐禅がいいというのは自分でも分かっているのです。

3分程度の坐禅も続けられないのかと情けなく思っていました。

そんなことを日頃から意識して本屋さんにいたり、インターネットを見ていたりすると、習慣化するには「ほんの小さなことをやる」とか「1分間だけやってみる」という趣旨の本やコラム、ブログなどが目に付くようになりました。

1分でいいのなら、と思って息を吐くだけをやってみたのですが、それだと数十秒。

こりゃあんまりだと思って、腹式呼吸で息を吸い、もう一度吐くところまでを組み合わせてみました。

過ぎてしまえば苦しかったときも思い出なんだなと思います

昨日は小室哲哉さんの引退を聞いて、私が病気のときにヒットしていた安室奈美恵さんの曲を思い出したことと、病気で苦しんでいるときほど当時のことを憶えているものかもしれない、ということを書きました。

昨日お話した「CAN YOU CELEBRATE?」のあとしばらく体の調子が戻っていたのですが、2000年の九州・沖縄サミットの頃にはまた調子が悪くなっていました。

安室奈美恵さんがサミットに出席している各国首脳たちの前で、「NEVER END」を振り付けをしながら歌っている姿を、部分的にですが鮮明に憶えています。

病気の種類や症状によっても違うのでしょうが、あまりにひどい状態であれば、テレビや活字のようなものも精神的に受け付けないと思います。

一方で元気な状態というか、普通に忙しく生活しているのであればやることも多いので、よほど印象に残るできごとでなければ、鮮明に記憶に残ることもないと思います。

私の例のように、普通に生活したいのに調子が悪くてできないときに、やることも限定されているせいなのか、そのときの状況をよく憶えているのかもしれません。

病気で苦しいときほど当時のできごとをよく憶えていると思います

小室哲哉さんが引退を発表されましたね。

先日の安室奈美恵さんに続き、これほどのビッグアーティストがいなくなることは、日本のポップス界にとって相当大きな損失だと思います。

安室さんが引退を発表されたときは、近所のTSUTAYAに行くと小室哲哉さん作詞・作曲の「CAN YOU CELEBRATE?」と「NEVER END」が繰り返し流れていました。

この2曲は、私が精神的に調子が悪かったときたまたまヒットしていた曲で、それが理由でよく憶えています。

インターネットで調べてみると前者は1997年、後者は2000年とのこと。

1997年はサッカー日本代表が初めてワールドカップ出場を決めた年。「ジョホールバルの歓喜」というそうですね。

テレビで途中まで見ていたのですが調子が悪いので寝ていると、マンションの隣の部屋から拍手が聞こえてきたので、「ああ、日本代表が勝ったんだな」と分かりました。

このように病気で苦しいときほど、当時のことをはっきり記憶しているのかもしれません。

年が明けての長野オリンピックのときがどん底で、ほとんどテレビで見ることはできませんでした。

日本中がお祭り騒ぎらしいことだけは分かりましたが。

高齢者が増えるので健康を気にした人としなかった人のその後も分かります

昨日、高齢なのに薬を絶対に飲まない親戚の話をしました。

この人はひどく咳き込むことが多いのですが、スーパーで売っているようなのど飴で咳を鎮めます。それで鎮まるのがすごい。

お酒が好きで美食家で、性格的に気が焦るようなこともそうなさそうです。

ご近所さんに、昔血圧が高すぎて救急車で運ばれたという話をしてくれた方がいるのですが、その方はそんなことがあっても、あまり気にせず好きなものを食べてお酒を飲んでいたそうです。

そして今は何年も血圧が安定しているらしい。

「病は気から」というのが本当ならば、この方たちの健康への向き合い方はお手本ではないでしょうか。

そうはいっても、このようなことができる人はほとんどいないと思いますし、私ならばちょっとしたことでも気になって、病院に飛んで行くと思います。

この年になると、同年代でも体のあちこちが悪い人も出てくるので、そうならないよう節制を心がけているつもりですし、体にいいといわれるもの、納豆、緑黄色野菜、ヤクルトなども摂るようにしています。そんなの当たり前か・・・。

中には筋トレをして体を鍛えたり、ヨガや瞑想などで心の健康を増進させることに熱心な方たちもいます。

処方薬が増えて行く現場に居合わせました

今日、親戚が病院で新しい薬を何種類かもらってきたので、高齢ということもあって、一つ一つの薬の内容を説明してあげました。

この人はもともと家事のことなど、細かいところが気になってちょこまかとよく動く人だったのですが、高齢に伴う疲労や関節痛などで思うように動けなくなっていました。

ところが細かいところが気になる性格は変わらないので、気ばかり焦って、ついいろいろなことをやりたがります。

そして思うように動けずに、さらに気が焦るという悪循環が続いていました。

季節が変わり始めることから血圧が安定しないようになったので、主治医の先生は神経が高ぶっているのが原因ということで、ノンビリするようにと安定剤を処方してくれたのです。

それなのに、本人はこれを飲むと眠いしダルいしで何もできなくなる、と飲みません。

そういうことならと、先生は軽い安定剤と自律神経を整える薬と眠れないときのために睡眠薬を処方した。それが今日だったんですね。

なるほど、こうやって人は飲む薬が増えて行くのかと納得したのですが、この人は他の薬も飲んでいるのに、こんなに増えて本人はちゃんと飲めるのかなと不安になりました。

長い年月をかけて影響を受けるものもあります

人間は忘れる動物らしいので、痛みや苦しみを受けてもそれが恒常的なものでなければ、それを忘れて元の生活に戻ってしまうようです。

先日お話した腰痛や一週間程度の入院のようなことです。

ところが自分の経験ではなくても、あまりに酷い怪我などを見聞きしてしまうと、それに影響を受けて生活が変わることもあるようです。

今思ったのですが、これはPTSDやトラウマといわれているものの軽い症状のような気もします。

これも先日お話した、入院中に聞いた同室の方のバイク事故のようなことです。

そして、それらとは違う第三のパターンもあるのかなと思っています。

ここ数年、健康のために乳酸菌やビフィズス菌を毎日取るようになりました。

この年になると、知っている方が手術をされたり亡くなられたりする話をたまに聞くようになります。

胃腸の病気がとても多いです。

身内の入院に付き添って、先生から症状についての説明を一緒に聞いたりもしました。

自分の入院も含めて病棟に何度も出入りしていると、健康のありがたさが身に沁みます。

人の怪我の話を聞いただけでも人生観が変わることがあります

昨日のバイク事故にあった方々の続きですが、気がついたら病院のベットにいたということでした。どちらももらい事故だったようです。

それまでは、自分は安全運転だし注意を怠らないので事故に会うはずはない、と確信していたのですが、この方たちのような場面に遭遇したら、いくら注意していても避けられないと思いました。

そういえば思い出したのですが、昔渋滞にはまったことがあって、前がまったく動かないのでバイクにまたがってボーっとしていたら、後ろから追突されたことがありました。

渋滞でみんな停車しているのに、私に追突した人は青信号に変わったのでつい発進してしまったということでした。

私には怪我もなく、先方が修理代全額負担で示談になりましたが、これなんて注意しようがないですよね。

バイクに乗るのをやめようと思ったのは、この経験も影響しているのかもしれません。

しかし自分がバイク事故で入院したわけでもないのに、人生観が変わってしまったのはなぜでしょう。

腰痛で動けずに寝込んでいてもそれはまる一日、自転車で顔面骨折して入院しても一週間程度。

その程度の苦しみは人間忘れてしまうようです。