文化に関する話

難しい思想に対して画家や美術史家がどのような印象を持っているのかが分かりました

若桑みどりさんの「絵画を読む イコノロジー入門」(NHKブックス)にボッティチェッリ「春」の章があります。

この作品が新プラトン主義や人文主義の影響を色濃く受けていることを解説しているのですが、このような思想に対して画家や美術史家がどのような印象を抱いているか、若桑さんが説明されている箇所があります。

これが私には目からウロコで、長年美術に向かい合った人にしか語れない内容なんですね。ちょっと長いですが抜粋してみます。

自分が興味を持っていることをアートの中に見つけるといいのではないでしょうか

イコノロジーとは、作品の奥底にある歴史意識や精神文化などの総合的な意味を探るための手法、というような説明がされています。

若桑みどりさんの著「マニエリスム芸術論」の「火と水と土と空気の織りなす世界」という、錬金術に関わりの深い内容の項目を読んでいたときに、自分はイコノロジーというものに興味があるんじゃないかと気づいたのです。

もともとこの本には妙に惹かれるものがありました。

これまで美術に関する本は気が向いたときに購入して読んでいたのですが、この本ほど印象に残ったものはありません。その理由をこの機会に考えてみたんですね。

さっそくAmazonで若桑みどりさんの他の著作物を調べて、「絵画を読む イコノロジー入門」(NHKブックス)と「薔薇のイコノロジー」(青土社)という本を買いました。

特に「薔薇のイコノロジー」は日本で初めて「イコノロジー」という名前を冠した本なのだとか。

まだ少ししか読んでいませんが、私の興味にドンピシャとはまる内容です。

昨日も書きましたが、イコノロジーという言葉は、Wikipediaの「象徴」という項目に私の好きなユングの無意識と並んで解説されていたので、自分の興味の対象であることを確信したわけです。

私の場合はイコノロジーというものに興味があるんじゃないかと思いました

昨日は、アートの鑑賞などで自分なりの判断基準を養って行くことは大事だというような本が増えているけれども、やみくもに美術館に行ったり画集を買ったりしても続かないんじゃないかというお話をしました。

もし自分が美術などに興味があるとして、じゃあどの部分に興味があるんだろうと考えてみることは、美術鑑賞をより深く、楽しく続けて行くための動機づけになるように思うのです。

そのようなわけで、お正月をまたいで、美術関連で自分が持っている本や新しく購入した本を読みながらそのことを考えていました。

ダダやシュルレアリスムを含む20世紀美術に関する本は数冊持っていて、ルネサンスについては情報も多いので「何となく」分かるつもりです。

主な様式の一つであるゴシックとバロックについては、改めて聞かれると答えられないので、酒井健著「ゴシックとは何か」(ちくま学芸文庫)と高階秀爾著「バロックの光と闇」(講談社学術文庫)を購入しました。

興味がある部分というのは、もともと自分が持っているもので、美術に限らず共通の何かがあるはずですよね。

本をダラダラ読みながらそれを探していました。

アートに興味はあるのだけれど、どの部分が面白いと感じるのか考えていました

年末に、最近山口周著「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」(光文社)のようなアートに関する本をよく見かけるようになったということを書きました。

これまでのように、精神的に余裕がないせいか仕事に役立ちそうな実利的な本の知識ばかり吸収しようとせずに、自分なりの判断基準を養って行くことは大事だなと反省しました。

その方法の一つとしてアートなどを鑑賞するのはいいことだと思ったのですが、自分の興味のないことをやろうとしても長くは続かないので、どうしたものかと年が明けても考えていたのです。

先日同年代の友達に会ったので、「最近このような本が流行っているけど知ってる?」と聞くと「知らない」という答え。当たり前ですが、アートに興味がない彼のような人は書店で見かけても気に留めないのでしょう。

自分はたまに月刊誌のような安価な画集を買ったりしていたので、西洋美術について興味がないことはありません。

しかし西洋美術といってもゴシック、ルネサンス、バロック、ロココ、・・・印象派と範囲は広いですよね。

自分がどこに興味があるのか、あまり考えたことがありませんでした。

日本の自治体にはいろいろなランキングがあって地元をアピールしているなと思います

久しぶりに会った知人に、先日打ち合わせした福岡県春日市のクライアントさんの話として「地元には美味しいレストランなどの飲食店がたくさんあったりして住みよい」といっていたことを伝えたら、自分の地元の福岡県大野城市は住みよい街で日本一に選ばれたと返されました。

春日市と大野城市は隣り合っているんですね。

さきほどインターネットで調べてみたら、日経BP総研という会社が働く世代2万人を対象に行った「シティブランド・ランキング ―住みよい街2017―」という調査で、茨城県守谷市、東京都武蔵野市とともに同率一位に選ばれていました。

確かに「街の活力」、「生活インフラ」、「医療・介護」などのスコアの合計が関東の都市とともに同率一位というのはすごいなと思います。

ただ調べ始めたとき、いろいろなランキングが出てきてちょっと迷いました。

例えば、民間調査会社のブランド総合研究所という会社は「地域ブランド調査2018」という調査を行っていて、そこでは市区町村魅力度ランキングの一位は北海道函館市、二位は京都府京都市、三位は北海道札幌市・・・となっています。

これはまたぜんぜん違う分野を対象に集計したんでしょうね。

このようなランキングで選ばれれば地元のいいアピールになります。

毎年同じ神社に三社参りしていると参拝者などの特徴が分かってきて興味深いです

昨日は除夜の鐘の話題からお寺のことについて書きましたが、年が明けた今日は近所の神社に三社参りに行ってきました。

ここ数年私の変わらぬ行事です。

一社目は地禄天神社。埴安彦命と埴安姫命という農耕の神様と菅原道真公が祀られているようです。

地元では地禄神社と呼ばれています。

こちらは氏子さんたちが待機されていて、参拝者にお神酒を振る舞われています。とてもアットホームな雰囲気です。

住宅地の中にあり大通りに面していないため、参拝される方はご近所の方がほとんどのようで、氏子さんと親しく話されています。

二社目は賀茂神社。御祭神は別雷命、玉依姫命、天児屋根命です。

平安時代の瓦が出土したことから、それ以前の創建であろうといわれている古い神社です。

歩いてこられる方が多いようですがご近所の方でしょうか。地下鉄七隈線の賀茂駅が近いので遠方の方もいらっしゃるのかもしれません。

私の前でお参りされていた方は三、四十代と思しき髪がボサボサの男性。あきらかにご近所の方でしょう。あ、私もまわりの人からはまったく同じように見られていると思います。

三社目は野芥櫛田神社。御祭神は天照皇大神、大若子命、天児屋根命、手力男命、倭姫命です。

十二年前の同じ十二支の出来事から次の年を考察するのに西暦は都合がいいです

昨日は日本には元号というものがあるので、時代の区切りを総括できたり、その時代の出来事をもとに思い思いにイメージできたりするのでいいものだ、というお話をしました。

これが西暦だけだとそのようなことはできません。

ところが今日インターネットで、同じ十二支のときにこれまでどのような出来事があったかをまとめているWebサイトを見つけて、ああ、西暦と干支を使ってこのような見方があったということを思い出しました。

陰陽五行を扱う四柱推命や算命学などのWebサイトでよく拝見するのですが、来年の2019年の干支は己亥(つちのとい)。

「己」は十干、「亥」は十二支。五行の木火土金水のうち、己は陰の土、亥は陰の水です。

十二支の方をさかのぼってみると、十二年前の2007年の丁亥はサブプライムローン問題(リーマンショックへ)やねんきん特別便の年金問題など、二十四年前の1995年の乙亥は阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件、Windows95(インターネットの普及)など、三十六年前の1983年の癸亥は東京ディズニーランド開園やファミコン発売など・・・。

このような出来事と干支の意味を元に、来年どのような年になるかを考察するんですね。

精神的に余裕がないという理由でアートに関する本を遠ざけていたことを反省しました

今日久しぶりに近所の本屋さんに寄ったら、落合陽一さんという方の「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる 学ぶ人と育てる人のための教科書」(小学館)という何とも刺激的なタイトルの本に目が止まりました。

サッと目を通しただけなのですが、最後の章「アート コンテクストを持った鑑賞力と創造力」が印象に残りました。

実は以前よりタイトルが印象に残った本で、山口周著「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」(光文社)や岡崎大輔著「なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?」(SBクリエイティブ)などと同じような文脈なのかな、と感じたんですね。

どれもちゃんと読んでもいないのに、ここに書くのは気が引けるのですが、不確定な時代に自分の判断基準を養っておくのは重要なことなんだろうなと思います。

ここ数ヶ月読んでいるのは、将来仕事に関係しそうな決まったジャンルの本ばかりで、アートに関する本に手が伸びなかったのです。

以前はブログにマニエリスムやロシア・アヴァンギャルドなどの本について書いたこともあるのですが、精神的に余裕がなければアートのようなあまり役に立たないことは棚上げしておこう、という意識が働くのかもしれません。

これを書き始めたのはもう一つ理由があります。

毎年師走だから忙しいという挨拶は不思議だなと思っていました

12月になると「師走だからお忙しいでしょうが」という言葉をよく聞きますし、先日仕事の打ち合わせ日時を相談されたときにも実際にいわれました。

私は師走なので忙しいと思ったことはあまりありません。

師走に限らずいつも何かをやっていて、のんびりとした時間を楽しむということができません。

子供の頃から気を抜くとやることを詰め込んでしまう癖がありました。

それは自分の性格でもあるでしょうし、親からよく「急ぎなさい」とせかされていたせいもあると思います。

中学生のときに体育会系の部活に入っていたことがあって、特に一年生は休むということが許されない雰囲気がありました。

社会人になったときはバブルだったので、頑張れば頑張るほど残業代がついていたように記憶していますし、いい製品を出せば売れる時代でしたので、頑張っていい製品にしようとしていたと思います。

「24時間戦えますか」という栄養ドリンクの歌が流行っていたのも、この頃じゃなかったでしょうか。

30代で体を壊してから、いつも何かを詰め込んで忙しくする癖をなおすように心がけてきたつもりです。

1970年の大阪万博の熱狂は宇宙旅行に行ける夢とシンクロしていたように思います

2025年の万博開催地に大阪が決まりましたね。

私は1964年の東京オリンピックの記憶はないのですが、1970年の大阪万博の記憶はありますのでとても感慨深いです。

当時はテレビで会場が大混雑している様子を見て、子供ながらにすごいことが起きていると感じていました。

未来の生活を感じさせるパビリオンもさることながら、街でもほとんど見かけない外人観光客がおおぜい歩いているのですから。

社会人になってから、高度経済成長時代はみんなが未来に夢を持っていたなーなんて思い返していたのですが、考えてみればそれは大阪万博のイメージだったのかもしれません。

特に万博の前の年にアポロ11号が月面着陸して、大人たちから「大きくなったら宇宙旅行に行けるぞ」といわれていましたし、会場のアメリカ館では「月の石」が展示されていたものですから、もう本当に宇宙旅行に行けると信じ込んでしまったんですね。

映画「2001年宇宙の旅」も1968年に公開されたようですし、世間は万博の前から宇宙のことで盛り上がっていたのでしょう。

私が東京にいたとき茨木でつくば科学万博がありました。

大阪の万博を思い出して「盛り上がるのかな」と期待したのですが、今ひとつだったように思います。