時代の変化

何十年と変わらない製品を作り続ける家具の世界にちょっと衝撃を受けました

私の親族にここ数年、肩の痛みが酷くてリハビリをしている人がいます。

居間にある椅子の肘掛けに、肘を置くと楽だというので、長時間その椅子に座っています。

腰掛けたまま上半身の体重をシートに預け、お尻を少し前にズラせば、リクライニングシートのようになります。

そんなに楽ならもう一脚、本人の自室用に買おうということになって、同じような椅子をインターネットで探してみました。

すると何と全く同じ椅子が売っています。

居間の椅子がいつからあったかは、はっきりと覚えていないのですが、20年くらい前にはあったように記憶しています。

それが柄は少し違うだけで、全く同じ製品を作っているということに、家具の世界ってすごいと思いました。

ITの世界では、例えばWindows OSであれば3年くらいで仕様がガラリと変わります。

パソコンやスマートフォンのようなハードウェアの仕様も、どんどん変化します。

家具はITではありませんが、リクライニングになる少し複雑な構造や、肘掛け部分の木の凝ったデザインなど、何十年も同じということにちょっと衝撃を受けました。

そういえば北欧の家具など、代々受け継がれている古いもの、なんて話をよく聞きますよね。

新しいIT技術の知識は営業にはプラスですが自立の目標からは遠のくようです

昨日の記事の補足です。

ITの新しい技術を追っていたら、タイミングよく仕事を請け負えたこともありました。

ミュースケはGoogle Cloud Endpointsを利用して、WEBブラウザ上の楽譜データをGoogleのサーバーに送っています。

これは、最初はWeb Audio Apiという仕様が使えるようになったし、自社でMIDIのWAVE音源も持っていたので、WEBブラウザ上で動作する楽譜作成ソフトを作ってみよう、という実験から始まりました。

せっかくだから、iPhoneで作りかけた楽譜を、自宅のWindowsパソコンで編集することができたらいいね、という流れから利用することになったのです。

このような経緯があって、プログラマーがGoogle App Engineにかなり慣れていたので、cocotamaさんから「ここたまサポートひろば」のお話が来たとき、Googleのサーバーを使えばできそうだ、と社内で話し合ってお受けしたものです。

IT技術ではなくアイデアを使って仕事を広げて行きたいと考えています

ここ最近、ブログのアクセスがないのをいいことに、自分の備忘録と化しています。

私は、請け負ってきた仕事をプログラマーに振ってからは、自分でできる仕事をしています。

WEBサイトや小さなシステムの構築、IT講師など、一人でできることをやってきました。

しかし、多くのソフトハウスが同じだと思いますが、自社ソフトで食べて行くことが夢です。

Score Magazineはいいところまで行ったのですが、複数の人間が食べて行くには、課金などの仕組み作りが大切だと学びました。

プログラマーが仕事をしているときに、私が仕組み作りをしなければと奮闘して早○年、未だに念願かなわず・・・。

そういう自戒の念を込めて、昨日の記事を書いたのですね。

やっぱり、WEBフレームワークのようなIT技術方面から追求しても、実現はおぼつかないと思います。

ちょっと自信のあるアイデア出しの方面でやって行きたい。

しかし何も考えないと、町の自称発明家のようにお金にならない類のアイデアばかりになるので、それをどう磨いて、食える仕組み作りにつなげて行くか、どう人を巻き込んで行くか、ということが大事だと思います。

自分のやりたいことを実現してくれるITツールを見つけやすい時代だと思います

昨日、若い人が始めて触れる表計算ソフトは、Googleシートのようなクラウドアプリなのかもしれないと書きました。

WEBブラウザを使ってインターネットを見る環境では、そのまま無料でGoogleドライブのようなOfficeアプリが使えるわけで、知らない間に利用していたということもあるでしょう。

私はたまに、自分の立ち位置に思いを馳せるときがあります。

歳を取ったときでも何でもいいのですが、一人で仕事をするようになったときですね。何をしているのだろう・・・。

やはり、ある程度ITに関わることをしているだろうと思います。

プログラマーには向いていないことは自分で分かっています。

一人で仕様を考えたり、ドキュメントを書いたりするのは好きなので、そっちの方向だと思います。

そういう思いに至るまでには何年かかかりました。

Ruby on Rails2の頃だったと思いますが、scaffold機能を利用して、初心者に毛が生えたようなWEBアプリを公開したことがあります。

けっこう思い通りのものができて、WEBフレームワークって凄いな感心した反面、セキュリティなどを含めて、自分一人で維持して行くのは無理だとあきらめた記憶があります。

モバイルルーターがあればどこにいても生活できそうな気分になります

東京から福岡に帰ってきて、契約社員としてビデオ編集の仕事をしていた時期があります。

その職場の同僚に、愛媛から移住してきていた方がいました。

私の感覚では、地方に住んでいる人が就職するときは、東京か名古屋か大阪(またはその周辺)のいずれかに「上京」する以外、選択肢はないくらいに思っていました。

そのときは21世紀になってすぐでしたので、スマートフォンはありませんし、職場のパソコンは主に書類作成や印刷をすることが目的で、インターネットには繋がってなかった記憶があります。

もちろん、今のようにインターネット接続環境が発達しても、編集前の巨大な映像データをやり取りすることは現実的ではありませんし、現地にいなければできない仕事であれば、どこにいても仕事ができるわけではありません。

しかし、WiMAXやポケットWiFiのような、手軽に持ち運びができるルーターがあれば、気分は全く違います。

この気分の違いは大きいと感じます。

私は打ち合わせなどで外出するときは、Nexus 7を持って行きます。

軽くて荷物になりませんし、7inch画面なのでブラウジングも快適で、文字入力も楽です。

WiMAXを使ってみて日常生活の大きな変化に気付きました

長年使っていたADSLからWiMAXに変えて2か月ほど経ちました。

今までWiMAXとWi-Fiは同じものだと思っていて、以前、記事で混同した書き方をしてしまいました。

というのも、外出先でネットを使ったデモをされる取引先の方が、DocomoのポケットWiFiを持ち歩いていて、いつも「いいなー」と指をくわえて眺めていたんですね。

そのルーターと私が契約したWiMAXのルーターがそっくりなので、てっきりポケットWiFiの別ブランド名のように思っていました。

それはともかく、外出しても常にインターネットに接続できる環境は、やはり快適です。

今日、ASKの西村代表のご自宅兼事務所で作業をしていたのですが、そこに役員の方も二名いらっしゃいました。

役員の方のパソコンは西村代表ご自宅のWi-Fiに繋がっていますので、たまに速度が遅くなったり、一瞬切断したような状態になったりしていました。

もしかしたら、他の部屋にもネットに接続している端末があったのかもしれません。

私だけ自分のWiMAXで快適に作業してしまいました。何だか申し訳ないような・・・。

元々ADSLでも遅いと感じたことがない性格なので、WiMAXでも遅いとは感じません。

往年のスターが表紙になる洋楽雑誌というジャンルは珍しいと思います

私はクルマも好きだったので、子供の頃からたまに自動車雑誌を買っていました。

洋楽雑誌との大きな違いは、購読者数の多そうなメジャーな自動車雑誌は、昔のクルマを載せる割合が少ないということです。

自動車会社がスポンサーについていて、読者に新車を買ってもらわなければならないからでしょう。

しかしクルマの場合は、好きな人の絶対数が多いので、旧いクルマが好きな人向けに、レストア雑誌や旧車雑誌などのジャンルが存在しています。

クルマの歴史は、ガソリンが燃料のものでさえ100年以上ありますから、旧車マニアが多いとはいっても、編集者は的を絞りにくいでしょうね。

私の母の弟、叔父はちょうど団塊の世代なのですが、私が小学生の頃、「サーキットの狼」を一緒に読んでいたときのことです。

登場人物の一人、隼人ピーターソンが「ユーたちは日本の名車を知らないのかい?」みたいな台詞をいったとき、私が叔父に「何だか分かる?」と聞いたら、即座に「2000GTだろ」と答えていました。

マニアじゃない人にも憧れのクルマがあったようですから、当時のモータリゼーションの浸透はすごかったんだなと思います。

そう考えてみると、GT-RやS30型のZなんて、驚くほど旧車好きの定番でいる期間が長いです。

中学生の頃にハマっていたことを思い出しました

子供たち相手の商売の話で、私が小学生だった頃は駄菓子屋に通っていたお話をしました。

中学生になったとたん、私は洋楽にハマりました。

お小遣いも少し増えますし、親からもらった、土曜日のお昼にパンを買うお金を節約して、貯まったお金でレコードを買っていました。

何でこんなことを思い出したかというと、最近、当時聴いていたミュージシャンが亡くなるんですよね。

年末にELPのグレッグ・レイクが、先月にキング・クリムゾンのジョン・ウェットンが・・・。

デヴィッド・ボウイの回顧展もやっているので、特にそう感じるのかもしれません。

私の歳からして当たり前のことなのですが、私が学生の頃読んでいた洋楽雑誌と、今の洋楽雑誌に書いてあることの大きな違いは、昔は亡くなる人がほとんどいなかったことです。

私が聴き始めた1970年代の中頃は、ロックスターはみんな若かったのです。

ですので、レコード・コレクターズの2月号でキング・クリムゾンが特集されていたり、新しいPlayerの表紙がジェフ・ベックだったりするのを見ると、何だか不思議な気持ちになります。

ローリング・ストーンズが新譜を出したことなんて、本当に驚きですよね。

子供たちが集まるお店のようすは今も昔も変わらないようです

昔から子供たち相手の商売はありました。

私の親より上の世代でしょうが、紙芝居もそうですし、飴細工もそうですよね。

中には、子供をだまして小金を稼ぐ人もいたらしいです。

私は小学生のとき、駄菓子屋に入り浸っていた記憶があるのですが、今でも駄菓子屋はあります。

何十円か持っていれば、お菓子が買えたりゲームができたりするのですから、子供にとっては夢のような場所でした。

そこにあったゲームは、指で弾く小さなパチンコ台や、スマートボールのようなものだったと思います。

話は現代に飛ぶのですが、福岡にはアプライドというパソコンショップのチェーン店があります。

私の家の近くのショップは、自作パソコンのパーツ売り場が充実していたので、よく利用させてもらいました。

ところがあるとき、そのフロアが同人ゲームなどのゲーム売り場に改装されていたのです。

ちょっとショックを受けました。

近くのTSUTAYAも、いつの間にか、売り場の一部がゲームコーナーに改装され、子供たちがたむろしてワイワイ騒いでいます。

改装前と比べて来客数が大幅に増えました。そしてそのコーナーに大人の姿はありません。

スマホを持っている子供たちがテーブルゲームのあるお店に出入りする不思議

私がよく行くディスカウントストアの近くに、昔からやっているゲームセンターがあります。

ゲームセンターといっても、木枠のガラス引き戸の駄菓子屋さんのようなお店です。

バス通りに面しているので、このような古い作りの家はここだけなのですが、お店の前には子供たちの自転車がいつも停まっています。

中が見えないようにシートで囲ってあるのですが、テレビゲームのテーブルが置いてあるような感じです。

今の子供は、任天堂やソニーのテレビゲームを持っているでしょうに、なぜこのようなお店に集まるのか。

私はよく知らないのですが、子供たちに人気のトレーディングカードのようなものを売っているのかもしれません。

ディスカウントストアに行くたびに不思議に思っています。

私もインベーダーゲームが流行った頃のことは覚えています。

高校生の頃だったと思うのですが、子供が大金を使うので社会問題になりました。

私は下手で百円玉がすぐになくなるので、あほらしいと思ってほとんどやりませんでした。

当時は小さな喫茶店にも、インベーダーゲームなどのテーブルゲームが置いてありました。

まじめなやつだと思っていた同級生も、インベーダーにハマって毎日通っていたんですよね。