時代の変化

高齢者サークルの連絡網についてよくご相談を受けます

「楽々談話室」のように、ITが苦手な方用のアプリをご紹介する機会があるとたまに聞かれるのが、「必ず全員とやり取りできる連絡網として何を使えばいいか」というご質問です。

先日のメディアドライブさんの展示会でも聞かれました。

今回は高齢者の方の集まりで連絡係をされている方のようでした。

携帯電話もスマートフォンも持っているメンバーはいるが全員ではない。パソコンのメールも同様です。

では固定電話ならば必ず繋がるかといえば、いつも出られる状態の方たちばかりではないでしょうし、耳の遠い方もいらっしゃるかもしれません。

スマートフォンを持っていない人に無料で配るという案もあるでしょうが、コストの問題をクリアできたとしても、操作に対する拒否反応は簡単にはクリアできないと思います。

今はやりのIoTでいえば、簡単な文字表示とON/OFFボタンだけのインターネット接続可能な端末を作ってはどうか、という案も出ますね。「お花見に来ますか?」のメッセージに「はい」、「いいえ」ボタンで答えられるような。

Raspberry Piのようなシングルボードコンピュータも、どんどん安いものが出てきていますし、ハードだけならば数百円で収まるかもしれません。

バラエティ番組もインターネットも、ただ楽しく見る分には変わらないのかもしれません

当時私は東京で生活していましたが、山手線や中央線に乗っているとき私は週間漫画を読んでいましたし、周りもそのような人が多かったです。

週間漫画はいくら毎日のように発売されているといっても、パラパラとページをめくって数十分程度で読み終えるようなものですし、帰宅したら読むものもないので、とりあえずテレビをつけていました。

チャンネルを合わせるのは、何も考えずに楽しく見ていられるものばかり。昨日挙げたトンネルズさんやナインティナインさんの番組もそうですね。

今と違って当時はまだ景気もよかったですし、探せばいくらでも仕事はあったような感覚があります。

その反面、オフの時間はストレス発散のため飲み歩いているか、ボーっとして疲れを癒しているか、という感じでした。

体を壊してから仕事をセーブするようになったせいもありますが、オフの時間がオンの時間とここまで違うこともなくなりました。

気がついてみると、テレビを見ている時間もずいぶん少なったようです。

ふと思いついたのですが、バラエティ番組をただ楽しく見ているときの脳波と、スマートフォンやパソコンで好きなサイトやYouTubeなどを見ているときの脳波は、とても似ている気がします。

日本を代表するバラエティ番組が終了することに象徴的なものを感じます

フジテレビの「めちゃ×2イケてるッ!」と「とんねるずのみなさんのおかげでした」が、来年3月で終了するとニュースで報じられています。

とんねるずのお二人は私より少し年上ですが、私が大学生の頃に「オールナイトフジ」で活躍されていた印象があります。

当時はバブル経済の真っ只中でテレビも華やかでした。

ナインティナインのお二人は私よりだいぶ年下ですので、テレビでよく見かけるようになったのはとんねるずさんより10年くらい後でしょうか。

「笑っていいとも」のレギュラーがきっかけだったように記憶しています。

番組が終了するのは、テレビ局の事情などいろいろな理由はあるのでしょうが、これだけ長い間続いたわけですし、終了するときもこれだけ話題になるのですから、日本を代表するバラエティ番組だったことは間違いありません。

ネットで調べてみると「めちゃ×2イケてるッ!」は1996年から、「とんねるずのみなさんのおかげでした」はそれ以前の番組名を改題して1997年から、それぞれ始まっています。

この話題が気になったのは、たまたまスマートフォンのことを書いていたからです。

自分の安全基地が機能するかどうか観察中です

私も安全基地を自分なりに設定してみました。

やっぱり条件としては、自分の好きなこと、やっていて心地いいこと、というのはいえるんじゃないかと思います。

日常生活において、長時間向き合っていてもそれほど疲れを感じないものや、いつ向き合ってもそれなりに没頭できるものですね。

私の場合、前者はコンピューターを使った作業やこのブログのように文章を書くこと、後者は唯識仏教や民俗学のような人間の深層心理に関するものかな、と思っています。

昨日も書きましたが、このような自分の資質は、何が安全基地かを一番知りたかった20代、30代には分からなかったと思います。

ちなみに、唯識というのは仏教の深層心理学です。

唯識説を唱えたのは瑜伽行(ゆがぎょう)唯識学派という一派で、瑜伽行というのはヨガの修行のことですね。坐禅や瞑想に繋がるもののようです。

岡田さんは本の中で、マインドフルネスの有効性を指摘されていますが、このマインドフルネスも坐禅や瞑想から仏教的な修行の要素を取り除いたものですね。

以前にも書きましたが、私も坐禅や瞑想の真似事を、ほんの数分間やったりやらなかったりしていたのですが、これを機に毎日続けようと思いました。

いろいろな克服方法を知ることができるのは心強いと思います

以前、岡田尊司著「過敏で傷つきやすい人たち」(幻冬舎新書)というHSP(Highly Sensitive Person)について書かれている本を読みました。

私自身、HSPかどうかを調べるチェックリストで特徴に合致したものですから、前々からこの症状に注目していたのですが、一方でこのチェックリストのような判定は、科学的な実証とはちょっと違うのかなと感じていました。

実際に岡田さんは、HSPが医学的な概念になりきれていない理由を詳しく述べられていたので、それが理由でこの本を買ったんですね。

もう一つの買った理由は、岡田さんは愛着障害などの書籍を多数出版されている方だということを知っていたので、その方が書かれているHSPの過敏性を克服する方法を知りたかったというのがあります。

本にはいろいろな克服方法が提示されていますが、最終的には自分の中に安全基地を持つこと薦められています。

この安全基地というのは、岡田さんの一連の書籍にも登場するキーワードのようです。

これはインターネット上でもいろいろ議論されているようで、自分で納得できるほど機能する安全基地を持つというのは、なかなか難しいことのようです。

ネット上の発言を見ると、年齢は20代か、高くても30代のような気がします。

どこかの集団に帰属したいという意識は強いのだと思います

私は専門家ではありませんので、昨日お話したニューロダイバーシティやHSP(Highly Sensitive Person)などが、学術的にどのような位置にあるのかは分かりません。

ですので記事や本の内容に対しては、共感することしかできません。

しかし、仮に学術的にはまだ認められていない説であっても、例えばアダルトチルドレンであるとか、HSPであるとか、自分がその特徴に当てはまるというだけでも、自分がある集団に帰属できるという安心感は大きなものがあります。

昔、卒業後に会った同級生が、学校に行くのが本当に楽しみだったという話をしたことがありました。

学校に行くのが嫌だった私はちょっと驚いたのですが、教室で楽しそうにしていた同級生たちを思い出して、やっぱりほとんどの人はそうだったんだろうなと納得しました。

そのときはたまたまその場に、私と同じように学校に行くのが苦痛だったという同年代の人がいたので、自分と同じ感情を持っていた人もいたんだと安心はしたのですが。

当時は、今のように多数派ではない人たちについての調査が進んでいませんでしたので、そのような話を聞いたときは、自分一人が浮いた存在のようで、孤立感を感じる人も多かったと思います。

ニューロダイバーシティ=脳の多様性という考え方があるようですね

先日インターネットを見ていたら、京都大学教授の正高信男さんという方が書かれた「自閉症者が人類社会に「不可欠」である理由 ~実は障害ではない!」という記事を見つけました。

そこで、ニューロダイバーシティ=脳の多様性という概念を知りました。

自閉症のような方の特徴は、技術や文化の発展に寄与するものであって、人間の多様性の一形態であるということのようです。

記事の中で、「社会的周縁に存在し、自然界のなかで自分たちがどう生きていくかに思いをめぐらす人物と、集団・社会内で互いの利益を調整し、どう上手くやっていくかに思いをめぐらす人物がいる」というような例を挙げて、いわゆる多数派(後者)とそうでない人(前者)との違いを説明されています。

この概念とともにもう一つ面白いと思ったのは、そのような特徴を持った人たちが、世の東西を問わず、封建制の崩壊以降、定住することをせず遊芸人として移動する生活を始めたというくだりです。

私は室町時代の遊芸人、または遊芸民と呼ばれる人々に興味を持っていたのですが、ニューロダイバーシティという文脈で説明できるんですね。そういう意味では西洋でも同じなわけです。

インターネットでちょっと調べてみたところ、面白い本がいろいろありそうなので、そのうち読んでみようと思います。

ハードディスクやディスクトップパソコンのような製品はもう出てこないかもしれません

昨日書いたようにWindows 10のバックアップを終えてひと安心し、次の日Windows 7を起動してしばらく仕事をしていたら、急に真っ青な画面(ブルースクリーンと呼ぶようです)になってしまいました。

久しぶりに見ました。メモリエラーっぽいメッセージが出ています。

念のためセーフモードで再起動したあと、通常起動してみたのですが、それ以降何事も起こらず普通に動作しています。

こちらも念のためチェックディスクをしたあと、ハードディスクを丸ごとバックアップしました。

今どきこのような作業をしている人は、ほとんどいないんじゃないでしょうか。

考えてみれば、もともと自社ソフトの動作チェックをするためにこのようなバックアップを始めました。

Windows 98や2000の時代は、SCSIやLANなどのインターフェースボードを刺していて、OSの再インストールのとき、ボードを認識させることなどがとんでもなく大変だったので、それを避けるためです。

今はソフト自体、バージョンアップを繰り返しているわけでもなく安定していますので、そこまで動作チェックをする必要もないように思います。

中古のハードディスクを気軽に取り替えていますが高価だった時代は忘れません

弊社はScore Magazineという楽譜作成ソフトを販売していて、対応OSは「Windows 98以降」にしていますので、動作チェックのために常時複数のOSが使えるようにしています。

とはいっても、MicrosoftのWindows Vistaのサポートは終了していますので、用意しているのはWindows 7、8、10だけです。

以前書いたと思いますが、各OS分ノートパソコンを用意しているわけではなく、1台のディスクトップパソコンに各OSの入ったハードディスクドライブ(HDD)を挿して動作させています。

業務で昔から使っているソフトはWindows 7用が多いので、メインは今でも7ですが、何ヶ月かに一度、思い出したように他のOSを起動して、Windows Updateなどをしています。

先日もWindows 10を起動しようとしたら、急に電源が落ちてしまいました。

2、3回再起動しても同じです。

こういう場合は、潔く中古かバルク品のHDDを買って、あらかじめバックアップしていたHDDを丸ごとコピーし、バックアップを複数確保するようにしています。

定年後に芸術家を目指す方が増えてくるかもしれません

昨日挙げた例は才能あるアーティストの方々ですが、一般の方でも例えば職人さんなどは、職種によっては修行期間が十年、二十年というのはよく聞く話です。

そうなると、中年になってからやっと一人前のような世界ですよね。

人生100年が当たり前の時代になると、このように息の長い職業に就かれる方が増えるような気がします。

しかし、サラリーマンのように60歳で定年を迎えた人にとっては、ここまでのお話は関係のない世界だったかもしれません。

インターネットなどで「第二の人生に備える」と題して、定年後の人生を40代、50代のうちに考えておきましょう、というような記事を見かけるようになりました。

会社員の頃から休日に副業で経験を積み、定年後は会社員の頃からやりたかった自営業を勧める記事も見かけます。

それでは若い頃にクリエイティブな職業に憧れて、いろいろな事情であきらめざるを得なかった方はどうなのでしょう。

このような方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。

定年後にそれを目指すのはまったくの夢物語なのか、といえばそうでもないように思います。