時代の変化

スマホとPC~利用者が多くて活気のある市場には敵いません

先日、総務省が発表した2017年通信利用動向調査によると、個人が利用するインターネット機器はスマートフォンが54.2%、PCが48.7%と、初めてスマホがPCを上回ったそうです。

世帯の機器保有割合はスマホが75.1%、PCが72.5%、固定電話が70.6%と、これも初めてスマホが上回ったそうです。

年齢別では、60歳以上はまだPCの方が多いようですが、20~29歳ではスマホが87.8%、PCが63.8%とかなり差があります。

これだけ差があれば、メーカーはさらにスマホに力を入れるでしょうから、ますますスマホが魅力的になって、その結果ますますスマホとPCの差が開いて行くのでしょう。

Impress Watch(https://www.watch.impress.co.jp/)でPC WatchとケータイWatchを見比べてみると、圧倒的に後者の方が新製品が多いですよね。

以前にも書きましたが、ギター雑誌を見るとトラ目がきれいなギターの新製品やビンテージギターなど、魅力的な商品で溢れています。

知人がお金がないのに買ってしまうと嘆いていたのですが、私でも見ると欲しいなと思ってしまいます。

ツーリングクラブにいたときは老若男女に関係なくバイク好きは多いと思いました

買い物や通勤をしているスクーターはよく見ますが、バイクはあまり見かけません。

日曜日や休日になるとよく見かけるので、やはり日常の足として使っている人はあまりいないのだと思います。

私は一昨年、自転車でこけて頬骨を骨折して手術をしたあと、バイクを一時的に抹消登録しました。

福大病院の整形外科に入院していたのですが、そこにはバイクで事故に遭って入院している方が二人いました。

話を聞いていると耳を覆いたくなるような酷い怪我で、一方的に追突されたとのこと。

これでは自分がどんなに注意していてもどうしようもありません。

当時は仕事が忙しかったこともあり、抹消登録をしたのですが、余裕ができたらまた乗りたいと思っています。

それほどバイクは好きです。

あれほど気分を爽快にしてくれるものは、そうないんじゃないかと思います。

昔ツーリングクラブに入っていたときは、いろいろなメンバーがいました。

小柄なおばさんが大きなホンダCB1000に乗っていたり、お父さんと10代の娘さんがいたり、カップルでタンデムをしている人がいたり、革ジャン、リーゼントでチョッパーに乗っている人もいました。

メーカーが多い割にあまりバイクを見かけないのは不思議なことかもしれません

Microsoftが運営するポータルサイトMSN Japanを眺めていたら、中国のメディアが日本にはいくつもバイクメーカーがあるのに、なぜ街中でバイクを見かけないのかという記事を掲載したとありました。

記事を読んでみると、いろいろな理由が考察されていました。訪日した中国の方もそれを感じているそうです。

確かにアジアの街中でバイクがごった返している映像を思い出します。

私が思うに日本で見かけない理由はシンプルで、駐車場がないと停められないし、バイクがなくても生活に困らないからじゃないでしょうか。

街中に停めてもそんなに注意されなかった頃はもう少しバイクを見たように感じますし、バスや電車があまり走っていなかった時代は、バイクは今よりもずっと多かったんじゃないかと思います。

ホンダのスーパーカブなんて、1958年に発売された当時はものすごく売れたらしいですから。

私も20年くらい前までは、邪魔にならない場所に停めればそれほど注意されなかったので、よくバイクで天神や西新に買い物に出かけていました。

当時はヤマハSR400というバイクを中古で買って乗っていました。

今思い出したのですが、ある日街中の交差点に赤信号で止まっていると、対向車線に私と同じSR400がいます。

お店のオーナーをされているシニアの方も競争が激しくて大変だと思います

ここ数日、地元で外国の方を多く見かけたり子供の数が減ったことから、これからますます外国の方やシニアの方が、身近なところで働いている姿を見るようになるかもしれないと書きました。

そんなことを想っていたら、知人の通っている近所の美容室のオーナーが、団塊の世代ということを思い出しました。

この知人は80代ですが、天神で働いていた現役の頃、そのオーナーは職場の近くのよく行く美容室のスタッフだったようで、たまたま近所に店を出したため、今でもお付き合いが続いているそうです。

確かに美容師さんは、自分の腕一つで年を取っても仕事ができますよね。

NHK連続テレビ小説「あぐり」で田中美里さんが演じた吉行あぐりさんは、90代でも美容師の仕事をされていました。

さらにいえば、その知人が以前通っていた近所の病院の院長さんは、知人と同年代でした。

お医者さんといえば、聖路加国際病院の日野原重明さんが100歳を超えてなお現役でした。

美容師さんやお医者さんは、ご本人が元気であれば、高齢でも現役を続けられる職業のようですね。

しかし現実は、美容師さんもお医者さんも競争が激しいのではないかと思います。

最近、近所のコンビニだったところがお洒落な歯医者さんになっていました。

自分が高齢者になっても自分のことは自分でやらねばと思ってしまいます

考えてみれば、かなり以前から近所のコンビニでも日本人ではないアジア系の店員さんを見かけていましたし、近所の病院の受付にもいらっしゃいます。

以前ブログで、団地の公園に子供の姿を見かけなくなったことを書きましたが、こんなに若い人が減って行くと、インフラの維持など生活に支障が出てくるんじゃないかと心配になっていたのですが、その分このような外国の方や、今まで定年でリタイヤしていたようなシニアの方が仕事を担うようになるのでしょう。

そんなことを思いながらテレビを見ていたら、今流行のキーワードとして「ラン活」なんていう言葉が紹介されていました。

小学校に上がる子供にランドセルを購入する活動のようです。

親やおじいちゃん、おばあちゃんが少しでもいいランドセルを買ってあげたいために、競争が激化しているのだとか。

私が小さい頃は、子供の数がとても多くて、大人はいちいち一人に構っていられなかったと思います。

親に聞いた話ですが、彼らの世代が新米の教師だった時代は、児童の数が多すぎて、午前と午後の二部授業をやっていた学校があったそうです。今では考えられない話ですよね。

中学校は中学校で、最近は学校の周りの柵に「○○君、地区大会準優勝おめでとう!」というような横断幕が張り巡らされています。

私の地元で時代の変化を感じるできごとがありました

以前、近所のスーパーに行ったら、中国語を話す若い女性二人組みが買い物をしているのを見かけて、このような田舎にも外国の人が住むようになったことに感慨深いものがあると書きました。

それを思い出したのは、今日同じスーパーの前で、二人の外国の若者が自転車に乗っているのを見かけたからです。言葉や容姿からインドの方のようでした。

さらに、そこからほんの少し離れたディスカウントストアのミスターマックスで、白人のお母さんと子供が買い物をする姿を見かけました。

私の住んでいる田舎にも、今や思った以上に外国の方が住んでいるのかもしれません。

このような地元の変化は新聞を読んでいても感じます。

いつの間にか「みんな輝く星の原」と題して、私の家からそう遠くない場所にある「星の原団地」についての連載が始まっていました。

連載の内容は、時代の変化に対応する団地の方々の活動のようで、私が見た回は、60~70代が中心の町内会役員に40代の若手が加わったことなどが書かれていました。

ここは少し歩けば東は国道、南は地下鉄とかなりいい立地で、交通手段がバスしかない時代は、「星の原団地行き」だけが私の家の近くのバス停を通らずに途中で曲がるので、人がたくさん住んでいるんだなと思ったものです。

鉄道を中心として人の流れが変わることに改めて驚きました

今日天神に用事があって、夕方の5時近くに地下鉄七隈線に乗りました。

Tabletでアプリのテストなどに集中していて、福大前駅で「学生さんがいっぱい乗ってきたな」くらいは感じていたのですが、天神直前で社内がとても混んでいるのに気がつきました。

終点の天神南駅で降りて改札に向かうとき、エレベーターも階段も人で溢れています。

ほとんどが大学生や専門学校生のように見えます。

学校が終わる時間になると、毎日こんなに混んでいるのかと驚きました。

彼らは、西鉄大牟田線や地下鉄空港線を経由して帰路に着くのだろうと思います。

普通に考えると、自宅のある郊外から学校のある都心に通学するわけで、私の住んでいるところが郊外の外れなので不思議な感覚だったんですね。

東京の大学は教養課程のキャンパスが郊外にあったりして、最初の二年間は都心から電車で郊外に通うようなイメージがあるのですが、そんな感じです。

もともと七隈線は大きな大学を経由するように走っているので、当たり前ではあるのですが。

いつも思うのですが、私がよく利用する地下鉄野芥駅は帰社時間になると降りる人が多いです。

この駅は国道が交差しているので、バスに乗り換える人が多いのでしょう。

今後四半世紀で団地の生活はさらに変化するように思います

団地ができた頃に比べると、多くの家が建て替えられましたが、当時のままの家屋もまだかなり残っています。

私の実家も建て増しはしているものの当時のままです。

室内に置いてあるモノはずいぶん変わりしました。

汲み取り式だったトイレが今やいくつもセンサーが付いたシャワートイレに代わり、白黒テレビが薄型テレビとブルーレイ・レコーダーに代わり、夏は窓を開けて蚊帳を吊っていたのが年中利用するエアコンに代わりました。

しかし変わったのは電化製品ばかりじゃないでしょうか。

白物家電が先に変わって行き、いつからかIT製品がんどん入ってきました。

家具や食器のようなものはあまり変わっていません。

人の生活もそんなに変わっていないように感じます。

ただよく考えてみると、そう感じるのは、団地ができてから半世紀も経っているのにこの程度?という感覚だからじゃないかと思うのです。

半世紀を、団地ができてからの最初の四半世紀と次の四半世紀に分けてみると、最初の四半世紀は確かに世の中はそんなに変わっているような感じはしなかったように思います。

二十数年使う団地の組長さんの順番表を作りながら考え込んでしまいました

私の住んでいる住宅地にも自治会があります。

先日年に一度組長さんが変わる時期に開催される組長会議があったので、集会所に各世帯の人たちを呼んでその報告会がありました。

団地は十数世帯が一つの組に分かれていて、かなり多くの組があるので、日をずらして二組ずつ集会所に集まっているようです。

このような集まりには、数年前から私が親の代わりに行くようにしています。

私が子供の頃、みんな若いお父さん、お母さんだったご近所さんたちですが、私がおじさんになった分みなさん同じように年を取られています。

報告内容も、所属している校区の中でこの団地は高齢者率が高いだの、抜け道になっている団地内の道路をクルマがスピードを出せないように工事をするだの、昔引いたテレビの共同アンテナの老朽化をどうするかだの、建ってから4、50年が経過した団地によくあることばかりです。

団地自体かなり年数が経っていますから、引っ越された方などのお宅が空き家になっていたり、アパートに立て替えられていたりと、引っ越してきたときと比べて相当様変わりしてしまいました。

高齢になって対応できるように現役のうちに新しいものに触れられたらいいのですが

昨日書いたような父の状況を見て、ちょっと考えてしまいました。

父が退職する前後の頃に使っていたワープロがたまたまワープロ専用機で、その父が高齢者になったときにそれが壊れてしまったら、もう手に入らない家電なんですよね。

これからワープロを使い続けて行こうと思ったら、ワープロ専用機で違う機種の中古を探すか、新しくパソコンを覚えるかくらいしかありません。

どちらにしろ、この年でそうなってしまったら新しい機材への対応は難しいと思います。

自分の場合も今はパソコンが扱えていますが、高齢者になって同じような状況になったとき、私は対応できるのでしょうか。

ASK アクティブシニア交流会会員の方の平均年齢は70代とお聞きしているのですが、西村会長を始め役員の方はITにとても興味をお持ちで、勉強会なども定期的に開いていらっしゃいます。

ということは、まったく新しい入力/表現装置が誕生してパソコンに取って代わっても、私がまだ70代ならば対応できるのかもしれません。

一方で、父がASK会員の方と同じ70代のときパソコンに興味を持って覚えようとしていたかというと、その気はなかったから今に至るわけです。