正月休みにパソコンのハードディスクをバックアップしました

ほぼ毎年恒例の作業です。

フリーのハードディスク・バックアップソフトを使って、丸ごとバックアップ。

私の使っているのはWindows 7と、それに無償で提供されていたWindows XP Modeの組み合わせで、XPの方はネット接続せずに古いデータベースソフトなどを使っていますので、このハードディスクはとても大事なのです。

自作したデスクトップパソコンということもあり、簡単に蓋を開けて、バックアップ用の3.5インチハードディスクを接続することができます。

バックアップ用に、先日中古のSATA 250GBytesのものを1,400円で買いました。安い。

BIOSでCD-Rから起動する設定になっているのを確認して、バックアップソフトのCD-Rを起動させて、あとはソフトの指示に従って実行するだけ。

3、4時間で終了します。

最近は、デスクトップパソコン自体あまり見かけませんが、みなさんバックアップはどうされているのでしょう。

毎日使っていると、私の場合は3年くらいで調子が悪くなるように感じます。

Excelとか画像とか、大事なファイルもクラウドに保存されていて、丸ごとのバックアップは必要ないのかもしれませんね。

レンタルサーバーにCMSを置く場合の動作環境は今後問題になってきそうです

WordPressなど、よく使われているCMSは、動作環境にPHP言語とMySQLデータベースの組み合わせが多いと思います。

今回のMODXのように、バージョンアップするまでに少し期間が開いてしまった場合、新しいバージョンはレンタルサーバーの動作環境に対応しているのか気になります。

WordPressやJoomla!は、管理画面から簡単にバージョンアップできるので、いつの間にかやってしまっているのですが、本来は動作環境もチェックしてからやった方がいいかもしれません。

動作環境の変化はしょうがないですよね。

PHPにしても、要望や脆弱性に対応したり、同じ言語間の競争もあるでしょうから、今後もバージョンアップを繰り返すのでしょう。それはデータベースもCMSも同じです。

弊社の利用しているレンタルサーバーの動作環境も、今は何とか最新のMODXに対応していますが、そのうちPHPもMySQLも、バージョンを上げる必要に迫られると思います。

行政やある程度の規模の企業など、大量のWEBページを管理し、閲覧者の要望に柔軟に応える必要がある場合は、レンタルサーバーとCMSの組み合わせはこれからも必要でしょう。

競合他社と差別化したWEBページを展開したい企業もそうかもしれません。

久しぶりにWEBサイトのMODXをバージョンアップしました

先月新しいバージョンがリリースされていて、正月休みだったこともあり、WEBサイトのMODXをバージョンアップしました。

正月休みじゃなくても、バージョンアップはしなければなりませんね。

大事なScore MagazineのWEBサイトですし、前のバージョンからちょっと期間が開いてしまったので、別ディレクトリに新規インストールしてみて、WEBフォームなどの動作をチェックしてみました。

メール送信後のサンクスページへの遷移が少しおかしかったのですが、それが修正されていました。

フォーラムを見ると、次のバージョンのやり取りもあり、問題なく開発が進められているようですので、もし脆弱性などが発見されたとしても安心ですね。

そもそもMODXにした理由は、以前にも書きましたが、手打ちで作っていたWEBサイトを移行するためでした。

MODXは、テンプレート(WordPressでいうテーマ)をいくつも作っておいて、それをページごとに変えられるんです。

テンプレートの一部を部品化して、それを組み合わせたりもできます。

HTMLやCSSの手打ちに慣れている人であれば、デザインの自由度が高いCMSだと思います。

福岡の西の方にも有名な神社はあります

福岡の東の方は、太宰府天満宮や宗像大社を中心とした朝廷の歴史を感じる神社は多いです。

以前お話したように、魏志倭人伝で最初に九州に上陸した場所が伊都国、つまり福岡の西の方ですから、歴史を感じる神社もあるはず。

一つは、室見川河口に位置する愛宕山にある愛宕神社。筥崎宮と同じように七五三に行く方も多いです。

ここは西暦72年、景行天皇の時代に創建された福岡で最も古い神社とのこと。

鎌倉幕府が元寇のあとに置いた鎮西探題は、現在は祇園付近(博多駅近く)にあったとされていますが、それまではこの愛宕山にあったのではないかといわれていました。

福岡市内と博多湾が一望できる見晴らしのよさが有名なので、古代より何か特別な場所だったのだろうと想像できます。

室見川上流には、以前ご紹介した吉武高木遺跡という、日本で最古の三種の神器が揃って発見された遺跡があります。

この吉武高木遺跡と、魏志倭人伝に紹介されている伊都国の遺跡である三雲南小路遺跡と平原遺跡の間に、飯盛神社で有名な飯盛山があります。

ちなみに平原遺跡は、「福岡県平原方形周溝墓出土品」の名称で国宝に指定されています。

元旦に近所の神社に三社参りに行ってきました

私は福岡の西の方に住んでいて、今年も近所の神社に三社参りに行ってきました。

年末からテレビでは、三社参りは太宰府天満宮、筥崎宮、宮地嶽神社へ、というCMが流れていました。

この時期になると、東の方に有名な神社が多いな、とあらためて感じます。

今年は特に、元旦より九州国立博物館で、「宗像・沖ノ島と大和朝廷」という、宗像市の沖ノ島で発掘された宝物が展示されることも、よりその気持ちを強くします。

CMの中の太宰府天満宮は説明の必要がないくらい有名ですね。

筥崎宮は放生会というお祭りが有名で、地元では「ほうじょうや」と発音しています。

子供の頃、参道に出店がずらりと並び、すごい賑わいで、お化け屋敷があったことを憶えています。

地元では、七五三にもここに訪れる人が多いです。

宮路嶽神社の裏手には、「宮地嶽古墳出土品」として国宝に指定されている宮路嶽古墳があります。

筥崎宮から少し東北方向に行くと、古事記や日本書紀にも出てくる香椎宮があります。

子供の頃より、福岡の東の方には有名な神社が多いなと思っていました。

長い年月をかけて変わっていくのだろうと思います

臨床心理士などの肩書きを持つ、倉成央さんという方の「努力がすぐに結果になるたった1つのルール」(大和出版)という本に書かれているのですが、例えば親から「お前は頭が悪い」と言われ、その思い込みが真実に近い思考になったものをインナーメッセージと呼ぶそうです。

大人になって、これではいけないと決意し、インナーメッセージに反抗するように努力して生きているのですが、何かの拍子にインナーメッセージ通りの生き方に戻ってしまう。

心理学の交流分析では、前者を生き方を意識上の「対抗脚本」、後者を無意識の「人生脚本」という言葉で表すそうです。

それほど無意識の力は強いわけで、私が脳科学の本を読んだくらいで、すぐに変われる訳がありません。

ちなみにこの本には、インナーメッセージを変えるための演習も記載されています。

では、変われないかというと、それについては少し楽観的に考えています。

無意識とは違いますが、森博嗣さんの「人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」(新潮新書)という、思い込みや常識などに囚われない、抽象的思考の必要性を説いている本があります。

脳科学でもすぐには人格は変わってくれないようです

片寄った考え方を続けて、またいつか心に負担をかけてしまうのは避けたいので、心理学や仏教、はたまた荘子まで、さまざまなものの見方のヒントを与えてくれる本を読んできました。

科学的なアプローチも必要だろうと思いましたので、V・S・ラマチャンドラン他著の「脳のなかの幽霊」(角川文庫)のような脳科学の本も読んでみました。

周到な準備に基づく実験の数々は、「へぇ~」と唸ってしまう結果ばかりでした。

非科学的な判断で不当に扱われる人をなくす、という意味では、科学的視点はとても大事だと思います。

一方で、実証されていないものについては言及しない、という立場になるのでしょうね。

私が科学者だったら、パニック障害や鬱の人がどんな方法でもいいので助けて欲しい、とすがってきたとき、どうするんだろう・・・。

そんなことを考えてしまうほど、今まで知らなかった脳科学の実験の世界に、感心するやら混乱するやら、してしまったんですね。

さらに言えば、エレーヌ・フォックス著「脳科学は人格を変えられるか?」(文藝春秋)という本を読んだ直後は、「やった!これで性格を変えられる」と本気で喜びました。

荘子にも自分の解釈を変えることに繋がる話が豊富に出てきます

NHK「100分de名著」ブックスのシリーズに、玄侑宗久さんの「荘子」があります。

なぜ禅宗のお坊さんが荘子なんだろうと思いましたが、読み進めるうちに、仏教にも通ずるものがあることを知りました。

端的な例として、荘子には、坐禅にきわめて近い坐忘(ざぼう)という「行」のエピソードがあるようです。

顔回(がんかい)という孔子の弟子が、孔子に坐忘を行ったときの心境を伝えるくだりがそれで、玄侑さんは、荘子もこの「行」に取り組んだ時期があるのではないかと仰られています。

世界史の教科書に出てきた鳩摩羅什は、経典を漢訳して中国に仏教を普及させた人ですが、それまでは、主に老子や荘子の言葉を流用して漢訳されていたそうです。

それほど、老子や荘子と仏教は相性がよかったということらしい。

達磨が開祖といわれている中国禅宗は、嵩山(すうざん)が発祥の地といわれています。

この地も、道家(道教)の本拠地だったそうで、それほど老子、荘子には禅を受け入れる下地があった、ということのようです。

私も個人的に、荘子の話を荘子とは知らずに、折に触れて思い出してきたように思います。

仏教も深層心理学と共通する部分があるようです

岡野守也さんの「唯識のすすめ」(NHKライブラリー )は、仏教の深層心理学とも言うべき唯識(ゆいしき)を解説した本です。

唯識は大乗仏教の学派のひとつ、瑜伽行(ゆがぎょう)唯識学派によって体系化されました。

唯識では感覚を「識」と言います。「視」、「聴」、「嗅」、「味」、「触」の五感に「意識」を合わせて六識。

その先に、潜在意識としての「末那識」(まなしき)と「阿頼耶識」(あらやしき)があります。

その阿頼耶識が、六識と末那識を生み出しているのであって、識自体に実体は無い。すなわち外界(自分から見て世界)に「もの」は存在せず、唯(ただ)識(しき)だけが存在する。

何のことかよく分かりませんよね、初めて見る方には。

瑜伽とはヨーガのことで、阿頼耶識はヨーガをしていた人たちによって発見されたそうですので、この説明も、ヨーガの実践によって得られることなのでしょう。

岡野さんは、先にあげた本の「深層心理学と唯識」という章で、フロイト、ユング、アドラーの各心理学と唯識との関連性を考察しています。

特に、ユングの集合的無意識は、阿頼耶識と同じ領域を違った角度から見たものではないか、と仰られています。

アーサー王の物語になぜか興味を持っていたのですが深層心理に関係していました

心理学の本に興味を持つ前から、アーサー王の物語をなぜかとても面白いと感じていました。

アーサー王は、ローマとケルトの血を受け継ぐ実在した人物で、6世紀にブリトンに侵攻したサクソン人を撃退した英雄らしい。

アーサー王の物語は、円卓の騎士たちと伝説の聖杯を探す冒険など、いくつかの物語で構成されています。

ケルト人は、紀元前よりヨーロッパに定住していた人々で、自然崇拝の多神教を信仰していました。

その後、キリスト教が入ってきたり、ゲルマン人が移動してきたりして、ケルトの文化は衰退して行くのですが、アーサー王の物語には、その文化の影響が色濃く残っているんです。

田中仁彦著「ケルト神話と中世騎士物語」(中公新書)には、そのことが詳しく書かれています。

その本の中で、アーサー王の騎士たちはさまざまな冒険を繰り広げるのですが、冒険の途中からいつの間にかケルトの他界に入り込んでいる。

その世界の中で、貴婦人の愛を失ったり、騎士と決闘したり、貴婦人の愛を再び取り戻したりする。

それは、苦難を経て自分の価値を高めて行く過程であり、男性の中にある抑圧された女性像(アニマ)を解放し、より高い次元での男性像(アニムス)との結合の物語(←意訳)であったりするようなのです。