記録メディアが必要な録音機器は時代が変わると悩ましいです

昨日は音楽鑑賞用のハードウェアのお話をしましたが、記録メディアの変遷によって使えなくなってしまうのは、音楽作成用のハードウェアにしても同じです。

例えば、先日記事に書いたADAT。

当時は、手に入りやすいS-VHSのビデオテープに、マルチトラック録音ができる製品として一世を風靡しました。

今でも録音機器などのインターフェースに、ADATオプティカル端子を見かけます。

それほど普及したんですね。

一世を風靡したといえば、サンプラーという、音を録音してそれに音階を付けて発音させる機器があります。

サンプラーが出始めた頃に、AKAIのS900という製品があり、私も持っていました。

とても太くていい音がすることもあり、これもかなり売れたのではないかと思います。

当時の技術で作られていますので、12bitサンプリングで、記録媒体に2DDの3.5インチフロッピーディスクを使っていました。

S900は独特の存在感がある音ですので、今でも使っている方は多いのではないでしょうか。というより、これからもずっと使い続けたいミュージシャンは多いと思います。

パソコン周辺機器に限らずフォーマットが古くなると使えなくなります

昨日お話したように、OSに対応していないパソコン周辺機器は使えなりますが、パソコンの世界に限らず、いつの間にか使えなくなるという製品は多いです。

音楽の話に限ってもDATやMDはそうですね。ライブ映像なども含めるとレーザーディスクもそうです。

DATは音関連の仕事をしている人にとっては必携だったように思います。

バンドなど、自分たちで作った曲をマスターテープにする際は、重宝する規格でした。

それまでは、高価なオープンリールや業務用のPCM録音機くらいしかなかったのですから。

私は、SONYのTCD-D7というポータブル機を持っていました。DAT WALKMANといわれているだけあって、持ち運びに便利でした。

DATは使っている人の絶対数が少なかったので、使われなくなるのは分かる気もしますが、MDの方は使っている人は多かったのに、目にしなくなるまでの期間が早かった気がします。

カセットテープくらい長い間、取って代わられるフォーマットが現れなければ、残って行くのでしょう。

家電量販店に、あれだけ大量に録音用MDディスクが売っていたので、今でもMDディスクを大量に持っている人は多いと思います。私のように・・・。

周辺機器はパソコンのOSが対応していなければ使えなくなります

昨日書きましたように、パソコン周辺機器のボード類は、OSが対応していなければ使えなくなってしまいます。

そんな中でも、究極の品の一つかな、と思う製品を持っています。YamahaのDSP FACTORY DS2416というボードです。

これは当時、O2Rというデジタルミキサーがあったのですが、それをチップ化したものです。

Windows 95、98、2000用のドライバーがありました。

O2Rの68万円に対して、ボードの価格は9万円台でしたので、とんでもなくコストパフォーマンスはよかったです。

Cubaseというシーケンサーソフトがそのボードに完全に対応していて、パソコンからボードのデジタルミキサーを制御できました。

私は一時期、映像編集の仕事をしていたことがあるのですが、その際にADATで録音したものをCubaseで編集して、映像用のデータに落とすということをしていました。

仕事内容に対して、このボードはオーバークオリティでしたので、いつかは音楽制作に活用したいと思っていたのですが、いつの間にか世の中はWindows XPになり、活用する機会を逃してしまいました。あぁ・・・。

パソコンで職人的な音のデータ作りをしていました

Windows 98からは、OSにソフトウェアMIDI音源が標準で含まれるようになりました。

ソフトウェアMIDI音源というのは、Roland SC55のようなハードウェア音源をソフトウェア的にシミュレートしたものです。

シミュレートといっても、波形に使うメモリの量も制限されますし、アナログ出力までのクオリティは専用ハードに比べるべくもありませんが、とてもいい音だと思います。

パソコンメーカーも、マザーボードにサウンドボードを標準で搭載するようになりましたので、わざわざサウンドボードを購入する必要もなくなりました。

当時のサウンドボードやMIDIインターフェースのようなボード類は、今のパソコンOSには対応していないでしょうから、ほとんどが使えないと思います。

とはいえ、そうなる前は、インターネット上にROLANDのSCシリーズやYAMAHAのMUシリーズ用の音楽データが溢れていたものです。

MIDIという標準仕様と、SCやMUという音源の普及によって、演奏データのクオリティを競い合う環境が出現したんですね。

今考えてみると不思議な時代だったと思います。

音に関するハードウェアについて書いてみようと思います

先日パソコンの自作についての記事で、Windows 95のときは、パソコンの音楽ソフトで演奏するために、サウンドボードという音源を挿す必要があったことをお話しました。

当時のパソコンは事務機器のイメージが強く、今のようにエンターテインメントの要素はあまりなかったように思います。

サウンドボードは「サウンドブラスター」という製品が有名でした。

NEC PC-9801時代からのデファクトスタンダードで、1万円台で購入でき、それなりにいい音で再生できました。

1990年あたりからMIDIという規格が普及してきたのですが、その規格に沿って作成された音楽データは、その規格に対応した音源であれば同じように演奏してくれます。

サウンドブラスターは、MIDI規格のインターフェースも備えていたので、それを介して電子楽器を接続することができました。

YAMAHA DX7にもMIDI端子が付いていたので、接続することができたんですよ。

そのような状況でしたので、楽器メーカーも、MIDIインターフェースに接続して音楽データを演奏させるための音源を発売します。

ROLANDのSCシリーズとYAMAHAのMUシリーズが有名です。

子供の頃の作文を読んでみると向いていることが分かるかもしれません

数日前から、なぜこのような記事を書いているかというと、自分の小学校の卒業文集を何十年かぶりに読んだことがきっかけでした。

文集の後半は、自分の一生を想像して書く、人生の履歴書でした。

クラスメート一人一人が思いをつづっているのですが、その多くは名門の学校を卒業して立派な大人になるという、いかにも小学生が思いつきそうなことが書いてありました。

男の子は王や長島のような野球選手、宇宙飛行士、女の子はハンサムなお金持ちと結婚、などというものもあり、やはり時代を反映しているように感じました。

最後はだいたい、100歳まで生きるというような、幸せな人生で幕を閉じています。

しかし、私は死んだあとのことも書いているんですね。

地獄から蜘蛛の糸を伝って天国に行くというような内容です。当時教科書に載っていた芥川龍之介の影響ですね。

私には霊感がないので、スピリチュアルなことではなく、周りから聞かされていた仏教の世界観に影響されたのだと思います。

最初は読んでいて笑ってしまったのですが、冷静に考えてみるとちょっと驚きです。今と興味が変わっていない・・・。

ああ、人は子供の頃から変わらないものなんだと感心しました。

生まれ持っているものを活かせる研究が進めばいいと思います

私も30代中頃に体を壊してからというもの、頑張って無理をしていることはないか、と気をつけるようになりました。

例えば、ネットショップのサポートの仕事をしているときに、システムを構築して行くことや、ショップページの体裁を整えることは問題ないのです。

ところが、生鮮食品のような、私が日頃から接しているものでないと、途端にアピールの文章もぎこちなくなりますし、写真もうまく撮れない。

その会社の事務の人や商品を仕入れている人に撮影を手伝ってもらうと、背景も含め、それはおいしそうに並べてくれるんですね。

事務の人と話しているとき、自分は食べることが好きなのでこの業界に入ったと聞いて、ああ、なるほどと妙に納得したものです。

これは分かりやすい例として挙げたのですが、それまではこれに近いことでも、徹夜をして時間さえかければ何とかなる、というような取り組み方をしていたように思います。

そこに目を向けられるようになったことが、大きな変化だと思っています。

しかしそれとは逆に、仕事に活かせる好きなことや得意なこととなると、簡単には見つかりません。

昨日書いたのとはまた別のテレビ番組なのですが、ある種の苦痛を受けた人は脳の一部が変化している、という放送をやっていました。

生まれつき持っているものは大人になっても変わらないようです

先日テレビで、記憶を失った方のドキュメンタリー番組をやっていたので、途中まで見ていました。

各方面の専門家が、その方の記憶をよみがえらせるために関わっていらっしゃたのですが、歯科医の方が、いつもは右手でお箸を持ったりペンで字を書いたりしているのに、左手で歯磨きをしていることに注目されていました。

元は左利きで、右利きに矯正されたのだろうということでした。

生まれつき持っているものは、教育や努力ではなおらないものなんだなと、ちょと驚きました。

現代は、仕事にしろ競技にしろ、努力だけで乗り切るには限界があるので、興味のあることや好きなことを伸ばして行こうという考え方があります。

私が子供の頃は、その努力で乗り切ろうという根性論が一般的でした。

「巨人の星」をはじめとするスポコンアニメやスポコンドラマが流行っていた影響もあると思います。

いったん就職したら、ほとんどの職場は年功序列、終身雇用。頑張って努力すれば課長、部長・・・と順当に出世できる。

高度成長時代はポストに余裕があったんですね。

そんな時代は日本の長い歴史の中でも、戦後からバブルまでの短い期間だけだったのではないかと思います。

学生のとき友達と会話していたような内容のコメントでした

私が小学生の頃、ポルシェ911のミニカーを買ってもらったとき、いつも見慣れている日本車の形とあまりにも違っていて、衝撃を受けたものでした。

中学生になって自動車雑誌を読むようになると、評論家の方たちが、この日本車の何々は欧州車と比べて・・・というように、評価の基準は欧州車にあるようでした。

子供ながらに、セリカやギャランGTOなどをカッコイイなと思っていても、世界のクルマ好きから見ると、ポルシェやフェラーリは絶対的であり、日本のスポーツカーなど全く見向きもされないんだろうな、と思っていたものです。

そのような思い込みにとらわれたまま、この歳まで忘れていたんですね。

そんなときに、昨日書いたYouTubeなどを目にするようになったのです。

先日インターネットで見かけた、海外オークションの日産シーマやセドリックの写真に対するコメントも、大変興味深いものでした。

見た目は80年代、90年代に近所で見かけたクルマそのままで、車高を低くしてあって、どちらかといえばちょっと遊んでいる同級生が好みそうなものでした。

その写真に対する外国の方たちの反応も、当時の私と同年代の人が、カッコイイといっていた発言ととても似ているのです。

国籍が違っても人間の感性はあまり変わらないと実感したこと

日本には多くの外国の方が訪れていますが、東京オリンピックに向けて、ますます多くの方が来日されるのでしょう。

私も福岡でたまに道を聞かれたりしますが、相変わらずドギマギしてしまいます。

同じ人間だから、国籍が違っても考えていることや感じていることはそれほど変わらない、ということを、頭では理解しているつもりなのですが、外国人の友達がいたりしなければ、実感としては分からないのではないでしょうか。

しかしここ数年、意外なところから、人間の感性はあまり変わらないなと感じていることがあります。

北米では中古車を輸入するとき、「25年ルール」といって、国外で製造されたクルマは25年経過しないと輸入できない、という規制があるようですね。

YouTubeなどで、手に入れた中古の日本車を公開している欧米の人を、よく見かけるようになりました。

現行のGT-Rは世界的に人気がありますから、その3世代前のR32と呼ばれているGT-Rが特に注目されているようです。

映画のワイルド・スピードや、ゲームのグランツーリスモの影響もあるのでしょうが、私が驚いているのはそれ以外のクルマです。