人は誰でも何かしらに天才的な才能を持っているような気がします

加藤一二三九段が、Twitterで次のように引退をご報告されました。

「10歳のとき新聞の観戦記に触れ将棋の本質を悟ったわたくしが、天職である将棋に、最善の環境の中、生涯を懸け全身全霊を傾け打ち込むことができましたのは、御支援賜りましたスポンサー、将棋ファンすべての皆様おひとりおひとりのおかげに他なりません。幸せな棋士人生をありがとうございました。」

この中の「10歳のとき新聞の観戦記に触れ将棋の本質を悟った」というところに衝撃を受けました。

幼稚園のころ、将棋で大人に勝ってばかりいて、対戦相手がいなくなったのでしばらく将棋から遠ざかっていた、というほどの天才ですので、この発言は説得力があります。

将棋に限らず、どんな分野でもその道を極める人たちは、やはり子供の頃に、加藤九段のように「本質を悟る」という瞬間があるのでしょうか。

私の場合は当然ですが、物心ついたときから、勉強にしろ芸術にしろ、このような境地に至ったことは一度もありません。

義務教育期間中は、少年ソフトボールや軟式野球かなり入れ込みましたが、やはりそのような経験はできずじまいです。

補欠だったから当然か・・・。

人の興味というのは基本的には変わらないのかもしれません

意思の力でストイックに仕事だけを続けていても、いつかは心がそれについて行けなくなるようです。

私の場合は、ある日電車に乗っていて、パニック障害という発作が起きてそのことを理解しました。

仕事をセーブして療養しているときに、心もケアしなければということに気が付いて、自分が昔好きだったことを思い出そうとしたことを昨日書きました。

「ロシア・アヴァンギャルド」は、ストイックな生活を始める前に買ったのか、療養中に買ったのか忘れましたが、「音楽のヨーロッパ史」を買ったのは療養中でした。

音楽は子供の頃から好きでしたが、大学生から社会人にかけて、ワールドミュージックや古楽など、ポピュラーミュージック以外にも興味を持っていたことを思い出したんですね。

以前、「古代ギリシャの音楽」というCDが少し話題になったことがあるのですが、そのような音楽に興味がある人には、「音楽のヨーロッパ史」は好奇心を満たしてくれると思います。

美術館に行ったり、美術の本をたまに買ったりしだしたのは、大学生の頃からなのですが、知識は増やしたいと思っていましたので、「ロシア・アヴァンギャルド」を買ったのだと思います。

何年経っても以前好きだったことに触れると心がホッとします

亀山郁夫著「ロシア・アヴァンギャルド」は1996年に出版されており、上尾信也著「音楽のヨーロッパ史」は2000年に、佐藤晃子著「日本の絵画50」は2006年に、それぞれ出版されています。

この順番に購入したのは記憶しています。

出版された時期のことを思い出してみると、「ロシア・アヴァンギャルド」の頃は、今まで何度か書きましたが、私は体を壊してしまって、「日本の絵画50」の頃に何とか回復していました。

大学生の頃や社会人になってからも、せっかく東京にいるのだからと、ちょくちょく美術展に出かけていました。

その頃出版されていた、例えば「週間グレートアーティスト」(同朋舎出版)のような雑誌も、気に入った号は集めていました。

しかし30歳過ぎに独立してからは、とにかく仕事を頑張らねば・・・とそのような行為を封印してしまったんですね。

そんな生活をしばらく続けた結果、心身が病んでしまいました。

まともに仕事なんてできませんので、休養するしかありません。

そんなときに気付いたんですね。

ストイックであり続けようとしても無理。好きなことでたまに心に潤いを与えなきゃ長くは続かない。昔好きだったことは何だろう。

積読本になってしまうものはいろいろな理由があるのだと思います

先日、学生のときに買ったSF小説を、本棚から引っ張り出してきて読んでみたことを書きました。

私は積読はそれほどしない方だと思うのですが、それでも2、30冊くらいは積読本があります。

SF小説を引っ張り出したときから、それらの本のことが気になっていたので、改めてそのうちの三冊ほど手に取ってみました。

ジャンルは美術関連です。

SF小説のように、「幼年期の終わり」や「火星年代記」と同じ感動を味わいたくて、衝動的に買ってしまったというのではなく、もともと美術には興味があって、学生の頃から気が向いたら買っていたんですね。

SF小説の場合は、他に読みたいジャンルの本が増えてきて、そのままになってしまったのですが、これらの本はなぜ積読になってしまったのか、少し考えてみることにしました。

一冊目は亀山郁夫著「ロシア・アヴァンギャルド」(岩波新書)。20世紀初頭、ロシア十月革命以降に起こった芸術革命を概観する内容です。

二冊目は上尾信也著「音楽のヨーロッパ史」(講談社現代新書)。政治的、軍事的、宗教的目的のために音や音楽がどのように利用され、時代を動かしたのかを探る内容。

取り入れたとしても自分に合わなくなったら取り替えればいいと思います

よく、ある言葉を聞いて目からウロコが落ちたとか、人生観が変わったなどという話を聞きますね。座右の銘を見つけた瞬間だと思います。

そういうことは確かにあるのでしょう。

でも、座右の銘にも賞味期限があるのではないかと思うのです。

あるとき見つけた座右の銘が、一生その人の座右の銘であり続けることはないんじゃないか。

人間はそれほど単純ではないと思います。

ヤドカリのように、ある時期までは心の拠り所、居場所として持っているのでしょうが、どこかで自分が変化して、自分の体に合わなくなったら、殻を脱ぎ捨てて次の居場所を探すんじゃないかと思うのです。

歳を重ねるほど、次の居場所を見つけるまでの間隔は長くなって行くのだとは思いますが。

私はその過程の中で、この考えはいいのではないか、と自分なりに納得するものを、短く言葉にして口癖にすることをこの数年間やってきました。

そうやって忘れないように、潜在意識に訴えかけるのですね。

それらは今までお話したように、自分を見つめた結果、無理なく自分に取り入れられるもの、本来の自分に合ったものだと思っています。

人が聞いたら、その一つひとつは普通のこと、当たり前のことばかりです。

自分をよく見つめて自分に合いそうなものを取り入れて行けばいいと思います

21世紀になっても、国民的アイドルグループのSMAPが「世界に一つだけの花」という曲を出すくらいですから、一人ひとりは全く違う人間だという認識が浸透してきたのは最近ではないかと思います。

子供のころから学校では、教科書の問題、例えば国語の「このとき作者はどのように思ったか答えなさい」のように、クラス全員が一つの解答に導かれるように訓練されて、私に限っていえば、そのことに疑問を持たずに大人になったように思います。

今は全く違うのかもしれませんが、私が小学生だった1970年前後は、全体行動を意識していたように記憶しています。

私の場合、そのような思い込みが、「こうすれば性格を変えられる」とか「こうすれば自信が持てる」という文章に接して、そのとおりに実践したのに、上手く行かない自分はやっぱり落ちこぼれだ、と決め付けていたのではないかと思うのです。

そうではなくて、まずは自分をよく見つめて、より自分が解るようになってから、そのような話に少しずつ耳を傾けて行く。

意思の力でこうあるべきという方向に変えるのではなくて、本来の自分に合ったものを発見して行くという方向です。

まだ経験が少ない若い人は、ある程度年齢を重ねるまで難しいと思いますが。

その人の個性に合った方法じゃないと変わらないのではないでしょうか

昨日は、意志の力で自分の心を変えることはできないんじゃないか、というお話をしました。

本当に変えたければ、手術とか薬物とかの方法で、脳を物理的に変えるしかないんじゃないか。

そこまではちょっと、ということであれば、よくいわれるように、環境を変えることになるんだと思います。

職を変えるとか住む場所を変えるとか。

しかし、そこまでダイナミックに自分に変化を起こそうとすれば、私のような歳になると、被害を最小限に抑えたい人が大多数でしょうから、自分のことをよく理解した上で、自分の心がそれを望んでいるかを確認する。

そう考えると、自分を理解することの行き着く先は、自分の脳や遺伝子の様子を知るということとあまり変わらないように思います。

それが不可能なことは分かっていますので、多くの人は(いい方は悪いですが)どこかで妥協するのでしょうし、それがその人の個性ということになるのかもしれません。

人によってその判断の拠り所が、哲学であったり、仏教であったり、複雑な中国の五行占術や西洋の占星術であったり、・・・するのだと思います。

取り留めのない話になってしまいましたが、私のいいたいことは、その人の個性といっても、たくさんの要素が集まってできたものです。

性格を変えるとか自分を好きになるというのは意思の力では難しいと思います

昨年から「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)100年時代の人生戦略」(東洋経済新報社)という本が売れているようで、今でも書店でよく見かけます。

時を同じくして、AIもどんどん身近になってきましたし、仮想通貨の話題も盛り上がっているようです。

以前より第四次産業革命などといわれても、今ひとつ実感がわかなかったのですが、ここに来て身の回りのものや価値観が、徐々に新しいものに置き換わっているように感じています。

これだけ新しいものが浸透し、寿命も伸びて行けば、ほとんどの人が否応なしに、自分の立ち位置を考えざるを得なくなっているように思います。

その度合いは人によって違うのは当たり前でしょうが、私のように、パニック障害などの心の問題をかつて抱えていた方や、今抱えている方は、そんなときちょっと困った感覚を持つのではないかと思うのです。

つまり、自分に自信がある人とか、自分を好きな人(自己肯定というのでしょうか)は、時代がどんなに変化しようが、今までどおり生きていればいいというような余裕を、心のどこかに持っているんじゃないか。

そう考えるたびに、私の場合はですが、自分の立ち位置を考える前に、まず最初に性格を変えるとか、自分を好きになるとか、そういう努力が必要じゃないのか、と思ってしまうのです。

興味があって自分にもできそうなところを見習うしかないですね

糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」は、各コーナーがキューブのように(縦長ですが)レイアウトされていて、PCでもスマホでも、いろいろなサイズの画面に対応するレスポンシブなWEBサイトです。

同じようにカスタマイズにするのは無理だとしても、WEBサイトのあちこちに表示されている、綺麗で分かりやすくデザインされたアイコンは参考になります。

こういうところを見習いたいです。

商品取り扱い店舗としてリンクされているLOFTのWEBサイトも、とてもクオリティが高いです。

こちらも似たテイストですかね。キューブのレイアウトに綺麗な写真やアイコンがたくさんあります。

これらのようなWEBサイトを真似するなんてとてもできませんが、自分がいいなと感じることで、自分ができそうなことを見つけて行くしかありません。

ちなみに、Score Magazineの音符データは私が描いたのですが、そのときからベジェ曲線を描いていますので、Illustratorは結構慣れています。

先ほどから書いているように、自分は妙にアイコンに目が行くんですよね。

Bootstrapのアイコンなんかもそうです。多分好きなのだと思います。

ホームページのデザインをできる範囲で何とかしようと思いました

糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」のWEBサイトがリニューアルされていますね。

以前より各要素がくっきりと分かりやすく、角のないやさしいデザインだったのですが、それがさらに素敵になりました。

自分のWEBサイトと比べてみると、比べることさえ申し訳ないのですが、あまりの素っ気なさにため息しか出ません。

Bootstrapのテーマを入れてなかったら、恐ろしいことになっていたに違いありません。

今、お付き合いのある会社のWEBサイトをお手伝いしていて、コンテンツを充実させるのに一生懸命だったのですが、新しい「ほぼ日」を見てしまうと、デザインの方も何とかしなければと思ってしまいます。

何とかするといっても、デザイナーさんを雇うのは難しいので、自分のできる範囲で何とかしなければなりません。

昔お付き合いのあった社長さんで、Illustratorで妙に上手いキャラクター画を描かれる方がいたのですが、人には得意なことがあるものだなと感心したものです。

同じく昔お付き合いのあった団体ですが、スタッフが持ち回りで撮った写真を、デザイナーさんがホームページにレイアウトしていて、とてもお洒落なデザインでした。

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