Google Playストアで「安心対話室」と「サポート相談室」がダウンロードできるようになりました

「安心対話室」は、カウンセラーの方がチャットカウンセリングを行うためのアプリです。

「サポート相談室」は、企業の保険担当者の方が従業員の方とチャットを行うためのアプリです。

どちらのアプリも1対1のチャットに特化していることと、カウンセラーや保険担当者の側はパソコンのアプリを使ってチャットすることが特徴です。

二つのアプリの違いは、「サポート相談室」の方が匿名で利用できることにあります。

「カウンセリングルームを利用したことが社内の噂になるのが怖い」などの理由で、利用率の上がらない社内カウンセリングですが、「サポート相談室」では、保険担当者に従業員の誰がチャットをしているのか分からないため、利用率アップが期待できます。

実際に、同じ匿名の仕組みで先に公開されているアプリ「ここたまサポートひろば」は、高い利用率を実現しています。

「ここたまサポートひろば」のチャット相手は、アプリの提供元である株式会社cocotama(ここたま)の心理カウンセラーさんになりますが、「サポート相談室」のチャット相手は社内の保険担当者の方ですので、ご利用料はリーズナブルに設定されています。

みんな物語を欲しているなと思っていたら、一番欲しているのは自分でした

昨日お話したライムンドゥス・ルルスは、記号の操作で文字列を生成する機械を考案した人です。

そのアイデアをライプニッツが気に入って、それを発展させた「結合法論」という著作を書き、のちに機械仕掛けの計算機を作り上げます。

このようなことを考える人たちですので、とても論理的な思考を持っていたはずなのですが、熱心なキリスト教徒だったせいか、ちらほら秘密結社や錬金術の話が聞こえてくる。

ルルスなんて魔術師のように扱われた時期もあったらしい。

このような扱われ方は、陰陽師の安倍晴明と似たような感じを受けます。

この人は優れた天文学者で、国家にとって重要な暦を作る仕事をしていた公務員ですよね。

当時としては最先端の科学であっても、普通の人にとっては得体の知れない魔術なわけです。

そのイメージが、後世の人たちによって、平安京に跋扈する魔物を式神を操って退治する人物に作りなおされます。

ある程度重要なノンフィクションさえあれば、フィクションで脚色しても、それが面白ければ面白いほど人は感情移入できるのでしょう。

刀女子なんてその典型ですよね。

「刀剣乱舞」というゲームが火付け役のようです。

コンピューターの歴史を遡っていたらルルスの術に行き当たりました

先日より、コンピューターの基礎である二進法を作ったライプニッツへの興味から、ふと思い出してはインターネットで情報を集めています。

「そんなことより、ライプニッツの著作物を読み込んでモナドのことなどを理解せいっ」て思いますが、私にとっては業務に差し支えるほど難しくて頭を使うので、無理せず少しずつ読み進めているところです。

ライプニッツには、どんな思想もアルファベット26文字の組み合わせで表現できるように、基本的な概念を組み合わせることで、無数の概念を作り出すことができるはずだと考え、「結合法論」という著作を著したそうです。

その考えがのちに、十進法で掛け算や割り算などができる計算機や、二進法の計算機の発明に繋がることになります。

ちなみにこの「結合法論」には基となるアイデアがあって、それが13世紀の思想家、ライムンドゥス・ルルス(ラモン・リュイ)のルルスの術と呼ばれるものらしいのです。

この人は、哲学者、宣教師、作家などいろいろな肩書きを持っているようですが、後世には魔術師のような扱いを受けていた時期もあるらしい。

東京大学大学院情報学環教授の西垣通さんという方は、このルルス、ライプニッツの普遍記号学が20世紀のコンピューターに至る流れを指摘されています。

サザエさんのような存在のソフトを作ることができればすごいことです

昨日はサザエさんを見始めた頃の思い出をお話しました。

放送が始まって何十年も経つうちに、サザエさん症候群という、日曜の夕方に明日から始まる学校や会社を思い出して憂鬱になる症状の名称などもできました。

「症候群」とは医学用語のようですが、テレビ番組名に医学用語をくっ付けて呼ばれるほどに、安定感のある番組ということなのでしょう。

どんなに人気のある番組でも、ずっと打ち切られないで続くなんて考えられないと思います。

サザエさんは、いつかは打ち切られるという不安も感じられないので、このような症状の名称に使われたのではないでしょうか。

何といっても安心感があるのはあのストーリーですよね。誰にでもありそうな日常が描かれています。

長寿番組といえば、「笑っていいとも!」や「笑点」などもそうでしょうが、サザエさんはアニメなので出演者は年を取りません。

終わって欲しくないテレビ番組のアンケートではいつも上位に来るようですし、もし終了するようなことがあるとすれば、今回のようにスポンサーが付かなくなることくらいですかね。

テレビ番組が終了しても、サザエさんのスタートが地方新聞の4コマ漫画であったように、何かの媒体で連載が続いて行くように思います。

サザエさんの新しいスポンサーが決まったと聞いて昔を思い出しました

東芝がサザエさんのスポンサーを降りることが決まっていましたが、新しいスポンサーが決まったようですね。

サザエさんは私が子供の頃から放送されていて、当時は江利チエミさんの実写版サザエさんもやっていた記憶があります。

確か波平さんが家族の前で自分が体験した怖い話をして、江利チエミさん演じるサザエさんが「ああ怖い、マスオさん一緒にトイレについてきてよ」みたいなシーンだった気がします。

私もすごく怖かったので今でも憶えています。

アニメを見始めたとき、私はカツオ君より若かったのですが、今では波平さんの年齢を超えてしまいました。

サザエさんが生まれたのは、原作者の長谷川町子さんが福岡に住んでいた頃、地元の新聞に連載していた4コマ漫画らしいです。

福岡には長谷川さんが散歩をしながら構想を練ったといわれている「サザエさん通り」というのがあって、私が毎日高校に通っていた道もそこに含まれています。

当時はそのようなエピソードはまったく知らなかったのですが、長谷川さんの実家がこの近くにある、という噂だけは知っていました。

散歩をされていたというのは百道(ももち)の海岸だったそうですが、私が高校に通っていた当時、海岸は高校の敷地に隣接していたように記憶しています。

いつの間にか変わっていても気づかないのは興味のない分野なんですね

今では信じられないかもしれませんが、私の実家の住宅地に引っ越してきた当初は、トイレは汲み取り式でした。

定期的にバキュームカーが回ってきていました。

いつ水洗に変わったのか記憶にありません。

それほど昔のことなんだと思います。

そういえば、テレビのアンテナも各家庭の屋根に設置されていました。

屋根に設置されていない家に遊びに行ったとき、その家の方はチャンネルを替えるごとに、手でテレビの上に置かれている小さなアンテナの方向を変えながら見ていました。

当時、そういう光景は普通だったと思います。

それがいつの間にか、住宅地共用のアンテナケーブルが各家庭に引かれたのですが、いつ引かれたかも記憶にありません。

まだ子供だったということもあるのでしょうが、漫画やテレビ番組の内容や、ステレオのカセットテープなど、自分が興味のあるものは小さな変化でも見逃さないのに、生活が変わるような大きなインフラの変化は見逃してしまうんですね。

当然、親たちの世代はこのような変化に喜んでいたと思います。

東京電力が節電を呼びかけているというニュースで時代の変化を感じました

福岡も相変わらず厳しい寒さが続いています。

先日、この寒さのせいで暖房需要が増え、東京電力が節電を呼びかけているというニュースが流れました。

何気なく聞いていたのですが、ふと「そうか、みんな石油ストーブは使っていないんだな」と気がつきました。

エアコンで暖房するのは世間では当たり前のことなんでしょうが、私は今でも石油ストーブを使っています。

エアコンは冷房にしか使っていません。

火で暖めるのが好きだったり、風が出てくるのが好きでなかったり、ちょっとした好みの問題だと思います。

いつの間にか親も親戚も、エアコンで暖房をしているようです。

そういえば先日、親からご飯の保温ジャーが壊れたので買ってきて欲しいと頼まれました。

近くのヤマダ電機に行くとひとつも売っていません。

店員さんがいうには、今では電気炊飯器ばかりで、保温ジャーを買う人はいないのだとか。

私の実家のように、ご飯はガス釜で炊くのがうまいと信じている人は、今では珍しいのでしょう。

インターネットで象印保温ジャーを調べてみると、同じ商品があったのでさっそく注文しました。

地元の番組が増えたことはタレントさんの増加などが関係しているのかもしれません

私は十数年前から福岡に戻ってきて生活しているのですが、最初の頃、地元のテレビ番組を見ていて面白いなと思っていました。

戻ってきた当初、天神を歩いていると、テレビのクルーの方たちをよく見かけました。

ビデオカメラの至近距離で大きな口を開けている方がいたり、「え~~~っ!」というよく通る女性の声の方向を見たらビデオカメラが撮影していたり。

テレビを見て分かったのですが、その方たちは地元の有名なタレントさんだったんですね。

地元の番組は、以前は深夜がほとんどだったのですが、最近はゴールデンに中央の番組より優先して放送されていたりします。

私が子供の頃は、テレビに出演できるのは特別な人で、それこそ「スター」と呼ばれる芸能人や政治家の方、プロスポーツの選手などでした。

今はお笑い芸人さんやアイドルの方など、すごい数のタレントさんがいらっしゃいますから、その一部の方がテレビに出演される分、昔からいらっしゃるタレントさんたちの出演機会は減るのだと思います。

なので、昨日お話したような福岡の番組も成立するのでしょう。

それに今は、若い人たちはインターネット動画を長時間視聴しているのだとか。

中央のタレントさんが福岡の番組に出演して近所を取材されることもあります

今日夕食を食べながらテレビを見ていると、TBSの番組「ジョブチューン」にタレントのスザンヌさんが出演されていました。

チャンネルを変えると、TVQという福岡のテレビ局の「ちょっと福岡行ってきました!」という番組に、千鳥の大悟さんと平成ノブシコブシの吉村崇さんが出演されていて、私の住んでいる地区を取材されていました。

この番組は、毎回違う中央のタレントさんが福岡県内のクジで引いた地区を取材されるのですが、先々週は剛力彩芽さんが出演されるなど、本当に豪華な顔ぶれなんですね。

当然、福岡在住のタレントさんが福岡各地を紹介する番組は昔からあったのですが、中央のタレントさんが紹介されるのが新しいです。

そういえば博多華丸・大吉さんがナビゲーターを務めて福岡各地を紹介する番組があるのですが、毎回ゲストが中央のタレントさんというパターンもあります。

去年光浦靖子さんがゲストの回で、私の家のすぐ近くのラーメン屋さんに来ていたので、見ていてびっくりしました。

博多華丸・大吉さんご自身が中央でも活躍されているので、この番組が一番豪華といえば豪華かもしれません。

博多華丸さんが番組で仰っていたのですが、お父様の出身小学校が私と同じということもあり、妙に親近感を持っています。

1970年代は純粋に音楽を聴いていたような気がします

昨日書いたように、1970年代初めから中頃までの洋楽のヒット曲を見ていると、何か健全で屈折していない曲が多かったような気がします。

それ以降の曲にそれが感じられないのは、私の思い込みもあるでしょうが、時代背景も影響していると思います。

日本では高度経済成長時代も終わって、オイルショックなどで停滞感を感じていたんじゃないでしょうか。

確かに1970年代に入ってしばらくは、三波春夫さんが歌う大阪万博のテーマソング、「世界の国からこんにちは」の屈託のない明るさが日本中に満ちていたような気がします。

今でもはっきり憶えていますが、1976、7年にセックス・ピストルズが出てきて、洋楽にあまり関心のない同級生にバンド名を伝えたら、過激なバンド名にびっくりしていました。

当時の自分でさえ、他の音楽とはあまりに異質だと感じていました。

イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」も同じくらいの時期だったようですね。

音楽もとても魅力的ですが、歌詞も相当にミステリアスだったようで、この曲のWikipediaを見てもその複雑さがうかがえます。

ラジオでガンガンかかっていましたから、当然のようにLPを買いました。

ジャケットがとても印象的でした。