私は冷え性なので生まれた日の気候に影響を受けているようです

先日より、寒い日が続いたことを皮切りに四季のお話をしてきました。

寒い日のことを話題にしたのは、私は寒い日が苦手なところもあるからです。

そんな日が続くと末端冷え性なので足の指がしもやけになります。

ここ数年、食器を洗うときなどはゴム手袋をしているのですが、それでも手にあかぎれができてしまいます。

それどころか、最近は足にもあかぎれができるようになりました。手と違って一日中靴下を履いているのに。

昔はそんなことはなかったので、こういうところにも老化の影響が出ているのかもしれません。

生まれたときの気候は、その人の肌の特徴に影響するというような話を聞いたことがあります。

中国の五行でも、生まれた月はその人の性格に影響を与えることになっているようですから、昔から人は実感していることなのかもしれません。

私が生まれた日は真夏で、とても暑かったようです。

昔なので、部屋に冷房のない病院だったらしく、母は暑いのですぐに退院して家に戻ったそうです。

生まれたとき、この世界は暑いところだと体が覚えてしまったために、真冬の寒さに対応しきれないのかもしれません。

ポトマック川の桜のように紅葉狩りの名所も海外にできるかもしれません

昨日は温暖化の影響で、桜の咲く時期が早くなって入学式には散ってしまっていること、秋は鮮やかな紅葉があまり見られなくなったことなどを書きました。

今は10月でも暖かいですし、紅葉が色付く頃にはもうそこまで冬がやってきているような気がしますので、赤く染まる期間が短いのかもしれません。

私が子供の頃それぞれの季節に感じていた感覚と、今の子供たちが感じる感覚はずいぶん違っていると思います。

それで思い出したのですが、最近は小中学校の教室にもエアコンの設置が進んでいるようですね。

これだけ夏が暑いと、しかたのないことだと思います。

観光で来る外国の方などは、日本の夏の暑さに驚かれるようです。

猛暑日や熱帯夜のような日が続くと観光どころではないでしょう。日本を楽しんでもらいたいのに残念です。

秋の紅葉も同様に残念です。

外国の方は赤く染まる紅葉が珍しいようですから。

昔は童謡の「秋の夕日に照る山もみじ」という歌詞のように、山が紅葉で赤や黄色に染まっているイメージがあります。

外国には日本の紅葉の愛好家もいらっしゃるようで、自分の家の庭に植えられているとか。

四季のイメージも昔とずいぶん変わったようです

この三日間寒かったですね。

昨日は風も強くて自転車に乗るのが苦痛でした。

とはいっても福岡は雪が少しちらついた程度なので、このようなことをいっては雪の被害に遭われた地域の方に申し訳ないです。

ただ気温に限っていえば、昔に比べて平均的に高いと思います。

去年の夏は例年に比べて異常に暑かったですし、やはり平均気温が少しずつ上がっているのでしょう。

子供の頃の記憶では、真夏でも30度を少し越える程度だったと思います。

一方で、冬は福岡でもたびたび雪が積もっていましたし、水溜りには氷が張っていました。

保育園のときあたり一面雪景色になったことがあって、あまりに雪がきれいなので、カルピスをかけて食べたことを今でも憶えています。

近頃の福岡の子供たちは、冬といえばあたり一面の雪のイメージはないのではないでしょうか。

今では積もったとしても2、3日したら溶けてグチャグチャになるような気がします。

夏は夏で、ゲリラ豪雨なんてここ十年ちょっとですよね。

子供の頃は入道雲をよく見ていた記憶がありますし、夕立も穏やかだったように思います。

そんなことを考えていたら、四季のイメージもずいぶん変わったことに気付きました。

コンピューターには技術さえ身に付けば参加資格が手に入るイメージがあります

昨日、私は自分がパソコンを好きな理由をなかなか上手く説明できない、ということを書きました。

毎晩、寝る前にiPadでWEBブラウジングをしたり、Evernoteに気付いたことをメモしたりしているのですが、Windowsタブレットで同じことをするのに比べて快適だと思います。

しかし、パソコンがない環境に持って行くとしたらWindowsタブレットの方を選びます。

それはファイルを開いたり、ちょっとしたスクリプトを書いたりしなければならなくなったとき、パソコンのように使えるという安心感があるからです。

もちろんiPadでも大抵のことはできると思いますし、私に知識が不足しているだけなのでしょうが、やっぱり作業するためのツールがいろいろ揃っていることは、保険が利いている安心感があります。

私が始めてパソコンを買ったときのことを思い出してみると、最初は音楽で使うためにMSXパソコンを買い、次に大学の卒論で使うためにNEC PC-9801を買いました。

パソコンの知識はあまりなかったにもかかわらず、自分にとってPC-9801の何でもできる感は圧倒的でした。

ライプニッツが計算方法を確立しただけにコンピューターの適応力に納得してしまいます

昨日は「知の教科書 ライプニッツ」という本の中に、ライプニッツがのちの時代に無意識と呼ばれることになる「微小表象」という概念を考察していた、という記述を見つけて驚いたことを書きました。

ライプニッツというキーワードに、私の興味のあることが複数含まれていることを発見して、さらに興味が増しました。

彼の思想について自分なりに整理するのはまだ時間が必要ですが、「万能の天才」と評価されるほど多くの分野に業績を残したことは分かりました。

そういう意味では、コンピューターの基礎となる二進法を確立した人だけに、多様な分野で活躍している現代のコンピューターのような人物だなと感じました。

以前よりこのブログで、自分がパソコンが好きな理由を、アイデア次第でいろいろなことが試せるところとか、好きな理由をくどくどと考えてしまうくらいよく分からないところなど、思い付くままに書いてきました。

コンピューターの計算方法の基礎を創った人からして、このような多彩な業績を残していることを知って、自分がパソコンが好きな理由をなかなか説明できないことも、妙に納得できてしまいます。

若い人を中心に、スマートフォンがあればパソコンは要らないという主張をよく聞きます。

易経、潜在意識、コンピューターとライプニッツが結び付きました

先日、ライプニッツが中国に興味を持っていて、易経の先天図の中に自ら編み出した二進法の計算術があるのを見出した、という話に驚いたことを書きました。

実はあのあとで、フランクリン・パーキンズ著「知の教科書 ライプニッツ」(講談社選書メチエ)という本を注文してしまいました。

私は易経にもコンピューターにも興味を持っているのですが、二つの間には特に共通性を感じていませんでした。

ですので、なぜ興味を持つのかについては別個に理由を考えていました。

しかし、ライプニッツはコンピューターの計算方法である二進法を作った人なので、その人の考えていることを知れば、何らかの共通性を見出せるのではないかと期待したんですね。

まだ読み始めて数十ページ。今読んでいる章は、神の存在証明の議論が続きます。

哲学書「弁神論」を中心とした解説で、かなり難しいので理解するには時間がかかりそうです。

今日書きたかったのはそれとは別のことで、「第四章 理性的精神」にある節「1 微小表象と意識のレベル」の「微小表象」。

のちの時代に無意識と呼ばれることになる概念らしいです。

これにも驚きました。

テレビと音楽の組み合わせは記憶に最適かもしれません

昨日コンサートでビゼーの「アルルの女」を聴いているとき、中学1年生の頃LPで聴いていたフルートの息継ぎ部分などを覚えていたことを書きました。

それを書きながら、昔テレビ探偵団という番組があったことを思い出しました。

以前もブログに書きましたが、1980年代に泉麻人さんがコメンテーターを勤めていた、私たちの世代が共有している昔の放送を懐かしがる番組です。

子供の頃に好きだった番組は夢中になって見たせいか、細かいところまでよく憶えています。

保育園の頃に見たテレビの映像でさえ、断片的ですが憶えているんですよね。

それに比べると、授業中に勉強している記憶はほとんどありません。

いかに興味がなかったかですね。

授業中の記憶といえば、数学の補習で小テストを受けているとき、先生が私のところにやってきて、「ここ解らないの?ここが解らないならダメだ。」とニコニコしていたようなことです。

この先生は黒板に数式を書いているとき活き活きしていたので、こういう人が数学を好きなんだなと思ったものです。

話はテレビに戻りますが、小学生の頃「トムとジェリー」というアメリカのアニメをやっていて、トムがオーケストラの指揮者をする回があります。

入れ込んで聴いていた音楽は何十年経っても忘れないものです

今日、福岡市西区を拠点にしている、西区フィルハーモニーオーケストラのコンサートに行ってきました。

ニューイヤーコンサートなので、ウィーンフィルのようにシュトラウスのワルツがメインでした。「皇帝円舞曲」や「美しく青きドナウ」などです。

そんな中、ビゼーの「アルルの女」組曲 第2番も演目の中にありました。

中学1年のとき音楽鑑賞の授業で聴いて、メヌエットがとてもきれいなので、感激してレコードを買いました。

私にとって初めてのクラシックのLPで、カラヤンとベルリンフィルでした。調べてみると1970年に録音されたもののようです。

ファランドールもそうですが、メロディがとても印象的で、鼻歌でそれらしく口ずさめるんですよね。

中学に入って、ラジオを通してサイモン&ガーファンクルやクイーンなどの洋楽を聴き始めたのですが、今考えてみるとメロディアスな音楽に惹かれていたんですね。

メヌエットのフルートの息継ぎ部分とか、ファランドールで輪唱のようにビオラが旋律を追いかける音色とか今でも憶えていたので、当時は相当聴き込んだのだと思いますが、洋楽のアーティストや名盤を追いかけるのに夢中だったので、繰り返し聴いていた時期はそれほど長くないと思います。

易の卦や爻をコンピューターに当てはめることができるかもしれません

易占いは易経がベースになっているのですが、占っている方は易経を自分なりに解釈しているようです。

ですので易者さんの人生経験や想像力によって、同じ占い結果でも違う解釈が生まれてくると思いますし、そこに易の面白さがあるように感じます。

一方、易とは全く関係のないように見えるパソコンですが、私はその面白さについて、使う人によってできることが異なるところ、そして使う人の知識や能力によってできることが格段に増えるところにあると感じていました。

その面白さを上手く表現できなかったので、以前パソコンは錬金術のようだと書いたりもしました。

しかし先日、二進法を確立したライプニッツが易経に関心を持っていて、易経の六十四卦を配列した先天図から二進法の計算術があることを見いだしたという事実を知って、自分にとっての易とパソコンの面白さが似ていることに気付いたわけです。

そうなると、パソコンに易のフォーマットを当てはめてみたくなります。

一つの卦に対応するのは一つのソフトウェアでしょうか。

そして使う人は爻ですね。

例えばソフトウェアがExcelだとすれば、一爻目(初爻)にあたる人は初級者でしょうか。

基本的な計算の練習をしたり、顧客リストのようなリストだけを作ったり。

ライプニッツの作った二進法が易経と関係していたことに驚きました

昨日はコンピューターの黎明期のことを調べていたら、二進法を確立したのはライプニッツだということを知ったところまでお話しました。

それだけならば普通の豆知識として終わっていたでしょうが、彼は中国にも興味を持っていたらしく、何とイエズス会宣教師から易経の六十四卦を配列した先天図をもらい、そこに二進法の計算術があることを見出したとか。

それはすごい。

以前ブログで、二進数の計算機であるパソコンが、多くのものを生み出し世の中を変えて行く様は、まるで錬金術のようだと書きました。

易経と二進法の話を知って、そうイメージしたのもあながち突拍子もないことではなかったな、と思いました。

易は陰(--)と陽(-)の符号が六本重なって、一つの卦(か)を構成します。

ある卦は全部陽だったり、全部陰だったり、三本続けて陰で残りが陽だったりと、全部で64種類の卦で成り立っています。

その一つ一つが異なる世界を持っているんですね。

そして一つの卦の一本一本を爻(こう)と呼び、人の身分を表します。

一番下が平民、二番目が身分の低い官吏、というように上に行くほど身分が高くなり、五番目が最も身分の高い王様、一番上が位のない賢者、というように説明される場合が多いです。