乗っ取り(なりすまし)被害には遭いにくい仕組みになっています

先日より「安心対話室」、「サポート相談室」、「ここたまサポートひろば」について主な特徴を書いています。

昨日は、これら三つのアプリはユーザー登録で個人情報を入力する必要がないので安心、というお話をしました。

しかしそうはいっても、IDとパスワードを人に知られたら、その人に自分のアカウントでログインされてしまいます。

一般的なチャットアプリで不正ログインされると、乗っ取り(なりすまし)被害に遭う可能性があります。

あなたのアカウントを使ってあなたになりすまし、あなたと繋がっている友達が金銭を要求されたりするわけです。

企業やカウンセラーの方が、チャットアプリを導入する際に心配なのはこの点ではないでしょうか。

しかし、これら三つのアプリはその心配はありません。

これらのアプリはいずれも、利用者がチャットをする相手は管理者のみです。

利用者どうしがチャットをすることはありません。

もし利用者Aさんのアカウントが第三者に漏洩して不正ログインされても、第三者がチャットをするのは管理者のみということです。

ユーザー登録に個人情報は必要ないチャットアプリです

昨日から「安心対話室」、「サポート相談室」、「ここたまサポートひろば」について主な特徴を書いています。

三アプリの大きな特徴として、チャットをする利用者全員を管理する管理者がいることを挙げましたが、そのメリットとしてユーザー登録時に個人情報は必要ないというのがあります。

EAP(従業員支援プログラム)専用の「ここたまサポートひろば」は、従業員の方のチャット相手は株式会社cocotamaのカウンセラーさんとなります。

一方「サポート相談室」は、従業員の方のチャット相手は契約された企業の産業カウンセラー様などの、健康管理担当者様となります。

いずれにしても企業単位でご契約いただくので、その企業の従業員の方だけにIDとパスワードが行き渡ればよく、その条件が満たされるのであれば、実名やメールアドレスなどは必要ありません。

「ここたまサポートひろば」のユーザー登録は、従業員の方を集めた導入セミナーで行います。

「サポート相談室」のユーザー登録はcocotamaさんが行い、IDとパスワードは封書で従業員の方に配ることになります。

法人ではなく、個人を対象とされるカウンセラーの方専用の「安心対話室」は、カウンセラーの方が管理者となり顧客のユーザー登録をしていただきます。

今までにないチャットアプリなので主な特徴だけを書いたWEBサイトを作りました

近日発売予定の「安心対話室」と「サポート相談室」、そして既に発売中の「ここたまサポートひろば」ですが、今までのチャットアプリにはあまり見かけない特徴を持っています。

一つはチャットをする利用者全員を管理する管理者がいるということ、もう一つは1対1の会話に特化しているということです。

この二つの特徴は、口で説明してもなかなか理解しづらいと思います。

三つのアプリにはそれぞれホームページがあるのですが、この二つの特徴は共通しているので、この特徴だけを説明するシンプルなWEBサイトを作ってみました。
http://coco-tamago.com/chat-apps/

現時点で気が付いたことを書いているのですが、今後お客様にご意見、ご感想をいただいたり、新たなことに気付いたりして、内容も変わって行くと思います。

「安心対話室」や「サポート相談室」も想定していること以外の使い道がありそうです

今まで作ってきたソフトも、目玉として開発した機能はなかなか理解してもらえず、基本的な機能だけで満足されることが多かったです。

注目して欲しい機能について、ホームページのあちこちに書いても、ブログで何回説明しても、ほとんど変わりません。

お客さんは使いたいものを使うので、こちらが注目して欲しいことなんて気にすることはありませんし、そのような義務もありません。

自分がお客さんの立場でもそうするでしょう。

音楽作成ソフトの場合は、少なくともお客さんがソフトを使う目的は音楽ということで共通しています。

しかし、これから発売する「安心対話室」や「サポート相談室」などのアプリは、チャットをすることだけは共通しているのですが、どのような目的で使われるかは未知数です。

個人のカウンセラーが使うことを想定している「安心対話室」は、ふたを開けてみれば、占い師の方やスピリチュアルなお仕事をされている方が、自分の顧客とのコミュニケーションに使われるかもしれません。

自分と顧客のみが1対1で繋がり、それ以外の人が繋がることが許されない環境が必要なときは、最適なシステムだと思います。

この商品は気に入ってもらえると期待してもほとんどが期待を裏切られます

とても寒い日が続いていますね。

以前にも書きましたが、私の実家は古い木造の住宅地なので、雨戸を閉めてもどこからともなく隙間風が入ってきます。

親が寝るとき寒いだろうと思って、何か防寒になるようなものはないかホームセンターで見繕っていたら、「あったかキープパネル」(株式会社ワイズ)というのを見つけました。

窓際に立てて隙間風を防ぐもので、同じような製品が数社から発売されていました。

数社が商品化しているくらいですから、効果も需要もあるのでしょう。

帰宅して実際に試してみると、確かに窓の隙間から入ってきていた冷気を遮断してくれます。

あとは親が気に入ってくれたらそのままにして、そうでなければ他で使おうと思います。

他にも寝るとき肩の部分が寒そうなので、ちょっと寒いときに掛けられるようにと、「電気ひざかけ毛布」(株式会社広電)というのを買ってあげました。

こちらの方は、コントローラー部分が以前から使っていた電気毛布のものと似ていて間違いそうなので、毛布部分だけでいいといって、電源コードのところから取り外してしまいました。

「電気」の意味がない・・・。

狩猟採集民のような生活をしているので生き方の規則性が見えてきたのでしょう

30代の初めまでは大きな会社に所属していましたし、30代の中頃まではその会社にいるときにお世話になった会社や人と一緒に仕事をしていましたので、自分のディレクターという役割の範囲で考えたり行動したりすればよかった。

しかし体を壊してからは、それまでとほとんど関係のない会社や人と仕事をするようになって、ディレクターのような決まった役割のないポジションで考えたり行動したりするようになりました。

仕事内容はITに関連していることだけがこれまでと共通で、出向している会社自体は食品関連だったり電話工事だったりするのです。

自分の周りは、まったく違う人生を歩んできた人たちばかりなわけです。

それが昨日の、40代くらいから生き方の規則性が見えてくるようになった理由だと思います。

公務員や同じ職場にずっと勤めてきた自分の親、親戚、同級生などと話してみても、彼らの生活パターンを感じます。

どちらの人生が優れているとか劣っているとかの話ではなく、まったく違う景色を見ている人生だな、と思ってしまいます。

そのような人生を歩んできた彼らの話を聞いていると、人間どうしが深い付き合いをしていますし、彼ら自身の仕事についても相当に深いところまで極めているように感じます。

40代くらいになると自分や同級生の生き方に規則性が見えてきました

30代くらいまでは、自分も他人も同じ人間で、考えていることなんて大して変わらないと思っていました。

それ以前に、そのようなことをまじめに考えたことさえなかったように思います。

もちろん、人間の個性や能力は人によって全然違うことは分かっていました。

スポーツでも勉強でも自分より優れた同級生がたくさんいるなんて、小学生の頃から分かりますよね。

そのような能力のことではなく、喜怒哀楽の感情や性欲、食欲のような本能の方は、同じ人間なので大した違いはないだろう、と思い込んでいたわけです。

思い込んでいたので、あえて意識するようなこともなく生活していたという感じです。

しかし年を取ってくると、そのようなことも人によってずいぶん違っているんだな、と感じるようになったんですね。

昨日書いたように、人によって怒るポイントが全然違う、食に対するこだわりも全然違う。

たぶん、仕事やプライベートでとても大きな失敗や後悔をして、「思い返してみれば過去にも同じような失敗や後悔をしたな」と回想する経験が増えてくるからなんじゃないでしょうか。

この年になって自分の感情が反応することに意識を向けるようになりました

ここ何年かで気付いたのですが、一般的に考えてムカッとするのが当然の酷いことをされているようでいて、自分の中では大してムカッとしていないことがあります。

その反対に、普通に考えてムカッとしないことなんでしょうが、自分の中ではなぜかムカッとしてしょうがないことがあります。

自分が大事にしていることとそうでないことの違いなんだと思います。

ムカッとすることでよく耳にする例でいえば、自信のある企画、こだわりのある企画にダメ出しされたときなどですね。

その逆は、自信のないもの、自分の中で優先順位が低くどうでもいいと思っているもの。

ダメ出しされても、まあ当然か・・・という感じです。

このようなことは、自分の中で分かっていることなので納得できます。

しかしそうではなく、客観的に考えて怒ってもいいようなことなのに、意外に腹が立たないので、ああ自分はこのことに対して執着はないんだな、と逆に発見したりするんですね。

最近も食事のときに理不尽なことをされたのですが、全然腹が立たなかったので、ああ、自分は食に対して人より執着がないんだなと改めて納得しました。

日頃からおいしいものを食べたいとか、おいしく食べたいという欲求が、それほど強くありません。

「一病」息災とともに「辛い仕事の経験」息災というのもあるんじゃないかと思います

私は20代、30代でゲームの仕事をしていたときは、マスターが近くなるとよく徹夜をしていましたし、日頃からストレスでお酒もたくさん飲んでいました。

当時は若かったというのもありますが、今ほど少子高齢化の問題も叫ばれておらず、医療が進歩して自分が90歳、100歳まで生きる可能性がある、なんてことは考えたこともありませんでした。

自分の年齢が50代になると、子供の頃の若いイメージしかない親戚や近所のお父さん、お母さんたちが、いつの間にか高齢者になって、病気になったり亡くなったりしています。

そのような現実を目の当たりにすると、自分の健康寿命というものも少しずつですが意識するようになりました。

私の同級生で勤続年数が長い人たちは、支店長など「長」の付く立場になっていたりして、仕事のお付き合いでお酒の席も多くなるようですし、それで実際に体を悪くしている人もいます。

私は30代で病気をしてからは、仕事がまともにできない期間が数年ありました。

その時期にそれまで経験を振り返って、自分に向いていることや向いていないことをじっくり考えることができましたので、無茶な仕事はしないようになりました。

「健康寿命」なんて言葉は最近まで知りませんでした

ASK アクティブシニア交流会の「定例交流会」や「ビジネス研究会」で拝見する会員の方は、だいたい70代が多いようです。

天神の会場までいらっしゃるのですから、基本的には健康な方々だと思います。

私の両親も70代のときは元気だった記憶がありますが、80代になると耳が聞こえにくくなったり神経痛が酷くなったりと、あちこちに悪いところが増えてきました。

以前、私の実家は高度成長期時代にできた住宅地であることを書きましたが、当時から住んでいるファミリーは同じくらいの年代じゃないかと思います。

その方たちを見ていても、80代でどこにも悪いところがない人は、一人もいないんじゃないかと思ってしまうくらい、ほとんどの方が病院に通っていらっしゃるようです。

その一方で、ASKさんのイベントに参加される80代の方々はみなさんとても健康そうに見えて、懇親会でお酒も飲まれているので、実際に元気なんじゃないかと思います。

健康寿命というのがあるらしくて、厚生労働省の定義によると「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」とのこと。

平成25年の発表によると男性71.19歳、女性74.21歳。平均寿命に比べるとずいぶん短いです。

私もあと十数年でこの年齢に達します。