バラエティ番組もインターネットも、ただ楽しく見る分には変わらないのかもしれません

当時私は東京で生活していましたが、山手線や中央線に乗っているとき私は週間漫画を読んでいましたし、周りもそのような人が多かったです。

週間漫画はいくら毎日のように発売されているといっても、パラパラとページをめくって数十分程度で読み終えるようなものですし、帰宅したら読むものもないので、とりあえずテレビをつけていました。

チャンネルを合わせるのは、何も考えずに楽しく見ていられるものばかり。昨日挙げたトンネルズさんやナインティナインさんの番組もそうですね。

今と違って当時はまだ景気もよかったですし、探せばいくらでも仕事はあったような感覚があります。

その反面、オフの時間はストレス発散のため飲み歩いているか、ボーっとして疲れを癒しているか、という感じでした。

体を壊してから仕事をセーブするようになったせいもありますが、オフの時間がオンの時間とここまで違うこともなくなりました。

気がついてみると、テレビを見ている時間もずいぶん少なったようです。

ふと思いついたのですが、バラエティ番組をただ楽しく見ているときの脳波と、スマートフォンやパソコンで好きなサイトやYouTubeなどを見ているときの脳波は、とても似ている気がします。

日本を代表するバラエティ番組が終了することに象徴的なものを感じます

フジテレビの「めちゃ×2イケてるッ!」と「とんねるずのみなさんのおかげでした」が、来年3月で終了するとニュースで報じられています。

とんねるずのお二人は私より少し年上ですが、私が大学生の頃に「オールナイトフジ」で活躍されていた印象があります。

当時はバブル経済の真っ只中でテレビも華やかでした。

ナインティナインのお二人は私よりだいぶ年下ですので、テレビでよく見かけるようになったのはとんねるずさんより10年くらい後でしょうか。

「笑っていいとも」のレギュラーがきっかけだったように記憶しています。

番組が終了するのは、テレビ局の事情などいろいろな理由はあるのでしょうが、これだけ長い間続いたわけですし、終了するときもこれだけ話題になるのですから、日本を代表するバラエティ番組だったことは間違いありません。

ネットで調べてみると「めちゃ×2イケてるッ!」は1996年から、「とんねるずのみなさんのおかげでした」はそれ以前の番組名を改題して1997年から、それぞれ始まっています。

この話題が気になったのは、たまたまスマートフォンのことを書いていたからです。

私たちの世代が考えつかないITの使い方で社会問題を解決してくれるかもしれません

一昨日書いた、ネットで見つけた高校生の発言ですが、私の場合は年代的にスマートフォンではなくパソコンでした。

彼がスマートフォンに触れるより少し遅く、成人した直後にパソコンに触れたのですが、それまで経験したことのない感覚を味わったことを覚えています。

これを使えば何でもできそうな万能感というのでしょうか。

当時から、パソコンというものは「ソフトがなければただの箱」といわれていたのですが、ソフトさえあれば何にでも化けるわけです。

そのようなものは、生まれてこの方手にしたことはありません。

これを使えば何ができるんだろう、と妄想ばかりしていた記憶があります。

ギターを夢中で練習してもプロになる才能はないと悟りましたし、運動部で頑張っても上手くないのでレギュラーにはなれませんでしたし、勉強も同じくできませんでした。

そのようなことを高校を卒業するまで嫌というほど経験したので、よりいっそうパソコンに希望を持ったのだと思います。

ハードウェア周りにしてもプログラミングの面でも、パソコンの世界は分からないことが多すぎて、時間がいくらあっても足りません。

学生のときなんてそんなに勉強もしませんでしたし、部活をやめてしまったら時間を持て余します。

やろうと思えば小学生でさえ最先端のITを体験することができるでしょう

先日も自転車に乗っていると、前から自転車に乗る若者がこちらに突っ込んで来るような気配なので、端に避けたらスマートフォンを見ながら走っていました。

もう中毒ですよね。

新しいデバイスは、それを子供の頃から使っていた世代が成人して社会で活動を始めると、その影響が分かるんじゃないかと思います。

例えば「ゆとり世代」なんて、いろいろといわれてきましたよね。

先日も書いたのですが、現代はグローバル化とか高齢化社会とか、もはや生き方のお手本となるものがない時代です。

そういう中で、詰め込み教育とは逆の教育を受けてきた世代です。

単純に考えて、柔軟な発想で新しいものを生み出す能力を持っているような気がしますし、少なくともそういうところに期待が持てる。

先に挙げたスマホに夢中の若者のように、物心ついたときから肌身離さず持ち歩いている子供もいるでしょう。

今のスマホはもうパソコンのように高機能だと思います。

設定画面を開けばWi-Fi接続やクラウドストレージの情報、アカウントのことなど、幼くしてコンピュータ周辺の知識に触れることができます。

小学生のときからスマートフォンが与えられていたらと想像してしまいました

今日、小学生でもLINEをしているというインターネットの記事を読んでいたのですが、そのコメント欄に高校生が投稿していました。

彼はスマートフォンは面白いのでいつも使っているが、思考停止しているような感覚があるとのこと。

難しい本を読み切ったときなどに感じる充実感を知っているので、子供たちがこのような充実感を知らずに成長するとすれば問題なのではないか、というような内容でした。

私はLINEはあまりやりませんが、好きなジャンルの情報サイトやYouTubeなどを見ているとつい時間を忘れてしまうことがありますので、彼のいっている感覚は分かります。

私も高校生ぐらいになると、長文問題の読解力をつけるためにとか、このくらい読めと強制されたりとかで、難しい本も読んでいました。挫折することの方が多かったのですが。

そんな中でもごくまれに、遠藤周作さんの「沈黙」のような感動する本に出会うこともありました。

当時はスマートフォンどころかパソコンさえも身近にありませんでしたので、勉強もせずにだらだらと時間をつぶすとすれば、テレビを見るか漫画を読むくらいだったように思います。

テレビは居間にしかありませんので見る時間は限られていますし、漫画もお小遣いで買う冊数はたかが知れています。

その時代の社会情勢によってクリスマスの気分も変わるんですね

週刊誌にいつも「AIがあなたの仕事を奪う!」なんて見出しが躍っていたら、毎日浮かれていていいんだろうか、という不安も芽生えてくるでしょう。

1ヶ月も2ヶ月も前から、クリスマスの飾り付けをする気分にはならないということなのかもしれません。

その代わり、昨日お話したハロウィンなんかは年々盛り上がり具合が大きくなっているような気がします。渋谷なんて凄いみたいですね。

そういえば、先日終わったプロ野球のクライマックスシリーズは大盛り上がりでした。

予選も含め、サッカーのワールドカップも多くの人が熱狂しています。

先が見えない時代の不安の裏返しで、短い期間に、瞬間湯沸かし器のように発散したい気分になりたいのかもしれません。

鎌倉時代、蒙古襲来などの社会不安におびえる民衆に熱狂的に受け入れられた一遍上人の踊り念仏、江戸時代、黒船来航や飢饉などの同様の不安から発生した「ええじゃないか」。

不安な時代というのは、盆踊りのような、年に数えるほどしかないイベントではハレの日が足りないので、民衆自らイベントを作り出したようなところがあるのかもしれません。

イベントが増えた分クリスマスの盛り上がりも分散されたのかもしれません

先日ふと11月に入っていたことに気付き、もう今年もあと2ヶ月もないと、改めて月日の経つのが早いことに驚かされました。

そんなことを思っていたせいか、今日打ち合わせに向かう途中に天神地下街を歩いていたら、普通の光景であることにちょっと違和感を感じました。

来月クリスマスなのに、毎年こんなに地味だったっけ?と思ったんですね。

バブルがはじけて21世紀に入っても、相変わらずクリスマスのずっと前から、街のあちこちでイルミネーションを見かけたように記憶しています。

私の記憶違いなのか、それともやはり地味になってきているのか・・・。

確かにここ数年、10月31日のハロウィンが大盛況で、まだそれが終わったばかりということもあるのでしょう。

恵方巻きも当たり前のようにイベント化したのは、ここ20年くらいですかね。

私が子供の頃は盆と正月くらいしか大きなイベントはなかったような気がしますが、今ではたくさんのイベントが人々の生活に入り込んで、クリスマスばかりにエネルギーを割いてはいられない、ということなのかもしれません。

それにグローバル化とか高齢化社会とか、もはや生き方のお手本となるものがない時代です。

高齢者が増えるので健康を気にした人としなかった人のその後も分かります

昨日、高齢なのに薬を絶対に飲まない親戚の話をしました。

この人はひどく咳き込むことが多いのですが、スーパーで売っているようなのど飴で咳を鎮めます。それで鎮まるのがすごい。

お酒が好きで美食家で、性格的に気が焦るようなこともそうなさそうです。

ご近所さんに、昔血圧が高すぎて救急車で運ばれたという話をしてくれた方がいるのですが、その方はそんなことがあっても、あまり気にせず好きなものを食べてお酒を飲んでいたそうです。

そして今は何年も血圧が安定しているらしい。

「病は気から」というのが本当ならば、この方たちの健康への向き合い方はお手本ではないでしょうか。

そうはいっても、このようなことができる人はほとんどいないと思いますし、私ならばちょっとしたことでも気になって、病院に飛んで行くと思います。

この年になると、同年代でも体のあちこちが悪い人も出てくるので、そうならないよう節制を心がけているつもりですし、体にいいといわれるもの、納豆、緑黄色野菜、ヤクルトなども摂るようにしています。そんなの当たり前か・・・。

中には筋トレをして体を鍛えたり、ヨガや瞑想などで心の健康を増進させることに熱心な方たちもいます。

処方薬が増えて行く現場に居合わせました

今日、親戚が病院で新しい薬を何種類かもらってきたので、高齢ということもあって、一つ一つの薬の内容を説明してあげました。

この人はもともと家事のことなど、細かいところが気になってちょこまかとよく動く人だったのですが、高齢に伴う疲労や関節痛などで思うように動けなくなっていました。

ところが細かいところが気になる性格は変わらないので、気ばかり焦って、ついいろいろなことをやりたがります。

そして思うように動けずに、さらに気が焦るという悪循環が続いていました。

季節が変わり始めることから血圧が安定しないようになったので、主治医の先生は神経が高ぶっているのが原因ということで、ノンビリするようにと安定剤を処方してくれたのです。

それなのに、本人はこれを飲むと眠いしダルいしで何もできなくなる、と飲みません。

そういうことならと、先生は軽い安定剤と自律神経を整える薬と眠れないときのために睡眠薬を処方した。それが今日だったんですね。

なるほど、こうやって人は飲む薬が増えて行くのかと納得したのですが、この人は他の薬も飲んでいるのに、こんなに増えて本人はちゃんと飲めるのかなと不安になりました。

人生100年の時代になればライバルの話題も今ほど引きずられなくなると思います

昨日も書きましたが、スポーツの世界のライバル関係は、高いレベルで競い合っているのであれば、力が拮抗している時期は長くはなくて、年月が経てばどちらかがそのレベルを保てなくなるのは、当然のことではないでしょうか。

そういう意味では、マスコミや世間で脚光を浴びるほどのライバルというのは、いつまでもその関係がついて回るようであれば、ちょっとかわいそうに感じます。

最年長で活躍を続けるサッカーの三浦知良選手や、40代で表彰台に立ち続けるスキージャンプ界のレジェンド葛西紀明選手など、最初から個人で活躍する方のニュースは純粋にスゴイと感じることができるのですが。

華やかなスポーツの世界ではなく、私たちの人生においても、学校の成績ではアイツに敵わなかったけれど、会社人生では俺の方が出世した、見返してやった、みたいなライバル関係は結構あるように思います。

ちなみにこのような会社の出世競争といったら、40代にはもう決まっているのではないでしょうか。

これは60歳で定年退職して、平均寿命が70代くらいの時代にできた話のような気がします。

近年話題になっているように、人生100年が普通になったとしたら、多くの人が60代でも仕事をしていると思います。