幸福であれば上手く行くことばかりでもないような気がします

以前、TEDトークで話題になったので知っている方も多いと思いますが、心理学者のショーン・エイカーさんという方がおっしゃっていた「成功すると幸せになるのではなく、幸せだから成功する」という考え方があります。

簡単にいえば、脳がポジティブな状態のときの方が、ネガティブな状態のときよりも生産性が高くなる。その結果として、成功しやすくなるということのようです。

何を持って成功かという話はちょっと置いといても、一般的なことでいえば、学業やスポーツや仕事でいい成績を上げるということには貢献するだろうと思います。

上手く行かなかったことを散々絞られたあとに行動するよりも、上手く行ったことを賞賛されたあとに行動する方が、全然パフォーマンスが違いそうだということは理解できます。

その一方で、クリエイティブの世界では、この考え方はちょっと当てはまらないような気もしています。

例えば小説家や作曲家、画家のように作品を生み出す人ですね。あるいは役者や歌手のような表現をする人。

もちろん、底抜けに明るいお話や歌というのも、あるにはあると思います。

しかし、じっくりと味わってみたいと思わせる作品には、心を動かされる何かがあるのではないでしょうか。

幸福を感じやすい資質というのはあると思います

先日インターネットを見ていたら、ある人のインタビューで、両親に愛されて育てられたので、世の中はお花畑のようなところだと認識している、みたいなことが書いてあってちょっと驚きました。

今思い出したのですが、大学生のとき同級生たちと飲んでいたら、その中の一人が、両親がとても仲がよくて家庭が心地よかったといっていたので、その人も同じような認識をしていたのかもしれません。

そういう育て方をされたから、というのは確かにあるでしょうが、同じように育てられてもみんなそうなるとは思えません。

持って生まれた資質も影響しているのではないでしょうか。

私の場合は、多分に資質の面が大きいと思いますが、世の中がお花畑のようなところだと感じたことはありません。

以前インターネットで、幸福の遺伝子というものがあるという記事を読んだことがあります。

検索してみてもそれらしい記事は出てくるのですが、その記事が見当たりませんので、詳しいことは分かりませんでした。

子供の頃いくら居心地のいい環境にいたとしても、学校に通う年齢になればいじめに遭う可能性もありますし、就職すればパワハラに遭う可能性もあります。

世界規模の大きな変化なので悲観も楽観もしていません

昨日は高齢化社会やAIの進化などで、人類が予測できない世界になりつつあるというお話で終わっていました。

しかし私はそのことに悲観も楽観もしていません。

人類全体に起こる変化ですから、多くの人がとりあえず納得する結果に終わるだろうと思います。

一番つらいのは、自分だけが何か酷い目にあって、周りはそれに気づかないということではないでしょうか。

今と違って、ウツのような心の病に病名がなかった時代は、怠け者とか変わり者とかのレッテルを貼られていたようです。

現在でも、あまり知られていない病気や怪我などによる後遺症は、本人は苦しいのですが、それをどのように説明しても、本人以外の人にとっては実感しづらいと思います。

そう考えると、自分の家族だけとか、自分の住んでいる地域だけというように、起こっている範囲が狭ければ狭いほど共感者の数も少ないわけで、そのような環境の中で生きて行くのはつらいと思います。

大きな範囲で災害が起きたときは、その近隣の地域を含む人々が、郷土という名の下に助け合うと思いますし、国どうしの紛争であれば、同じ国民の同族意識で助け合おうという機運が高まると思います。

年金制度の変化で定年の考え方が変わりました

私の親が退職した頃は、定年のあとも働き続けるという人は、あまりいなかったような印象があります。

あれから20年以上経って、人々の意識も変わったということなのでしょう。

終身雇用、年功序列に関しては、崩壊したといわれ続けても、当事者の意識はなかなか変わらなかったんじゃないでしょうか。

一方で、定年後に仕事を続けることに関しては、年金支給が65歳からというように制度そのものが変わるわけですから、それまで仕事をしなければならないという現実的な問題があります。

それほど制度の変化というのは現実を変えますから、年金支給が70歳に引き上げられたりするような変化があるたびに、人々の意識は確実に変わって行くのでしょう。

こちらも読んでいませんが、河合雅司著「未来の年表」(講談社現代新書)という本には、人口が減少する世界でどのようなことが起きるのかを予測しているようです。

本の各章のタイトルだけを眺めていても、あまり気分のいい変化ではないようですね。

以前からいわれていますが、シンギュラーポイントが来てAIが人間の能力を超えたら、どのようなことになるか人間では予測できないというのがあります。

定年退職という言葉は時代に合っていないように思います

先日、今年定年を迎えた知人に会ったのですが、就職活動をしているという話をしていました。

その方は見た目も若くてとても60歳には見えません。

洋楽や映画などのカルチャーが好きで、考え方も若いんですね。

私には定年はないのですが、会社員であれば定年を考える歳になりました。

私の知っている経営者の方々は、60代の方も何人かいらっしゃいます。

アクティブシニア交流会の会員さんを見ていても、70代はまだまだ元気です。

今の方は若いので、60歳で定年というのは少し早いのではないかと思います。

以前も書きましたが「LIFE SHIFT」という本で指摘されているように、そのうち人生100年の時代が来るのでしょう。

定年後の人生は長いです。

私は読んでいませんが、「定年後」という本がベストセラーになっているようですね。

同じように考えている方が多いということなのだと思います。

2025年には団塊の世代も後期高齢者になります。

私の親の兄弟で一番年下の叔父さんは団塊の世代ですが、今でも元気に仕事をしています。

当時の日本は「産めよ増やせよ」という言葉があるくらい、兄弟が多いのが普通だったようですね。

小さな頃からパソコンに触れる機会があるのはいいことだと思います

中古であれば、中学生でもお年玉などのお小遣いを溜めて、Androidタブレットを買うことができそうです。

microSDカードは数ギガのものなら千円も出さずに買えるでしょう。

福岡市内であれば、街のいたるところに無料Wi-Fiスポットがありますので、中学生でも望みさえすればモバイルコンピューティング環境を持つことができるんですね。

私の時代からすればうらやましい限りです。

私が小、中学生の頃は、メカといえばラジオ短波が流行ったり、ステレオとカセットテープレコーダーが全盛期を迎えようとしていた時期でした。

しかしそれらは決まった用途に使うためのもので、自分で何かを作り出すものではありません。

一方で、Android上でAndroidアプリを作ることができる開発環境であれば、プログラミングの技術さえあれば、自由にアプリを作ることができます。

しかも、当時の短波ラジオやステレオと比べても、ずっと安く手に入れることができます。

私が大学生の頃にNEC PC-9801を買ったときは、ローンを組んでアルバイトをして払って行くくらい高価なものでした。

スポーツでもアートでも、能力さえあれば世界に向かってアクションを起こせます。

パソコンが文具店で売られるような時代になりつつあるようです

株式会社cocotamaのスタッフの方が、アプリのデモンストレーション用にAndroidタブレットが必要ということで、近くのビックカメラに買いに行きました。

手軽に持ち運べる7inchくらいのサイズで、その用途だけに使うので安いものでいいと思っていたら、1万円台でいろいろなメーカーの製品が並んでいました。

どれも十分なスペックです。

その中から、1万円を少し出るくらいの価格で、Huawei MediaPadというのを買いました。

安いものだなと感心して、事務所に戻ってGmailなどを設定するために1枚だけの説明書を見ると、最初に細長い蓋のようなものを開けてカードを入れるように、との指示があります。

そのときは必要ないと思ってスルーしたのですが、あとで考えたらmicroSDカードのスロットなんですね。

最近はこんなものまで使えるのか、と驚いてしまいました。

今はAnmdroid上でAndroidアプリを作ることができる開発環境があるようですね。

こうなると、もうりっぱなコンピュータです。

やっている仕事から考えてロールモデルが見つからないのはいいことかもしれません

昨日からなぜこんなことを書いているのかといえば、昨日も少し触れた深層心理とパソコンの話と関係があります。

深層心理の方は、大乗仏教の深層心理学といわれる唯識にはまりましたし、先日河合隼雄さんの対談のお話を書いて以来、易経の解説書をとても面白く読んでいます。

パソコンの方は、これも先日も書きましたが、AIの技術であるディープラーニングがとても面白いと思っています。

両者は深いところで繋がっているのかもしれませんが、世間的なジャンル分けからすれば180度ほども違うものです。

それを考えていたら、以前より気にかけていたロールモデルというのは見つからないのも当然かな、と思ったんですね。

私は小さなソフト開発会社を経営していますので、本来ならば経営者のロールモデルを探すのだと思いますが、メディアに載るような経営者の方で、私と同じ嗜好の方はちょっといそうにありません。

さらに考えてみれば、小さな会社は他社さんとの違いを意識しながら仕事をしているわけで、そう意識するればするほど、自分と似たお手本となる人(ロールモデル)を探すことから離れて行きそうです。

昔からロールモデルというものを探すのが苦手でした

ロールモデルとは、「あんな人になりたい」という生き方や考え方のお手本となるような人物のようです。

もちろんその有用性は分かります。

仕事にしろプライベートにしろ、毎日は選択の連続です。

生きにくくストレスが多い生活をしているとしたら、やはり今まで何気なく行っていた日々の選択を、見なおしてみるのがいいのだと思います。

しかし見なおすといっても、何を基準にどこから手を付けていいか分からないという状態ならば、ロールモデルとなる人物を設定することができれば効率はいいでしょう。

必然的にその人物は、自分と考え方や行動が似ている人(同じ匂いのする人?)ということになるんじゃないでしょうか。自分でそう感じればそれでいいと思います。

もちろん違う人間ですから、その人と自分はいろいろな点で違うと気付くでしょうが、その差異を認識できるということが自分を見つめるきっかけになるわけで、それがロールモデルを設定するメリットなんじゃないかと思います。

その人を真似ながらも、その人との差異によって、どのような結果の違いが生じるかを体験することで、自分が理想とする生き方に近づけるのではないかと思います。

未来の数学の授業は楽しくなるかもしれません

昨日は「ゼロから作るDeep Learning」という本を買ったことをお話しました。

少し読んでみると、Pythonに関しては簡単なコンバーターやCGIなどを作ったことがあるので、基本的なことは分かります。

一方で数式に関しては、私はバリバリの文系でしたのでまったく分かりません。

「恒等関数とソフトマックス関数」という章にΣのある数式が出てくるのですが、そんなものは習ったこともありませんので(習っていたならばその時間は寝ていたのでしょう)、もう目が点になります。

とはいうものの、Amazonなどの書評にも書いてあったように、Pythonのインタプリンタで各部分を実行して行くと数式の内容が分かってきます。

こういう理解のしかたもあるんですね。ちょっと感動しました。

学生の頃、数学の授業は特に苦手で、サイン、コサイン、タンジェントなど、大人になったら何に使うんだろうと思っていました。

先生からは、実生活ではこういうときに使うんだと教えてもらったのかもしれませんが、使った記憶はありません。

しかし現代は、普通の生活にAIが入り込んでくるわけで、それに興味を持った子供たちは、いつかはこのような数式を学ぶことになるんですよね。