高齢者になってもできる仕事を身に着けるには何年くらいかかるでしょうか

先日より「年を取ってもできる仕事」について考えてしまったことや、やりようによっては今のITの仕事を80代になっても続けられるかもしれないと思ったことを書いています。

しかしその予想は現時点でのものであって、AIが普及するなど世の中はどんどん変わって行きます。

ITの仕事は、肉体労働のように身体的にハードな内容ではないというだけで、高齢になって体が思うように動かなくなってもできるという補償はありません。

そういう意味では、今やっている仕事とは別のことで、収入を得られるものを持っているに越したことはありません。

私はそういうものを持っていませんので、今からでも作っておかなければならないなと思っています。

先日インターネットを見ていて、ダイヤモンド・オンラインのWEBサイトで「10年後も生き残る管理職の条件」という記事を見つけました。

そこには「機械に仕事を奪われないために今からやるべきこと」というテーマで、プリンシプル・コンサルティング・グループ代表取締役の秋山進さんという方が、「長年にわたって積み上げた経験値から生まれる第六感や洞察力が重要」ということをおっしゃっていました。

私たちの年代は80歳になってもアプリの開発をしている人たちがいるかもしれません

昨日は、山根明さんという方が運営されているシニア向けのIT講座で、講師の最高齢が88歳の方だということに驚いたことを書きました。

それまで私は、年を取るとITの仕事は技術的について行けなくなるだろうから、60代くらいまでしかできないだろうと勝手に想像していたわけです。

ただ高齢者でもITの仕事はできるといっても、締め切りに追われて徹夜が続くような仕事は無理でしょうし、スケジュールがタイトでなくても、WEBやゲーム機のプログラミングのように、新しい技術を次々に覚えなければならないものも難しいでしょう。

そういう意味では山根さんがされているような、自分と同じシニアの方に、IT機器の使い方や活用方法を教えるというのは、とても現実味のある仕事だと思いました。

シニアの方がITの仕事をするにあたって、もう一つ考慮に入れておきたいのは、いつからITに触れたかということです。

最初に挙げた88歳の方はExcelを教えられているとのことですが、この方が最初にExcelに触れたのはいつ頃かと想像すると、もしWindows 95からだとしても60代半ばですよね。

80代前半の山根さんがパソコンを覚えたのも、定年直前の64歳からとのこと。それからExcelやPowerPointの仕事をされたらしいのです。

80代でもITの仕事をされている方がいらっしゃることに勇気づけられました

先日テレビをつけると、NHKで「ドキュメント72時間「旅する美容室」」という番組をやっていました。

介護福祉施設などを訪問する美容師さんたちを追ったドキュメントです。

お客さんは80代前後の方が多かったと思いますが、外出が難しい高齢者を専門にカットやパーマをされています。

ただ高齢になれば、介護施設に入っていらっしゃる方ではなくても、体が弱くなって、行きたい場所になかなか行けない方も多いと思います。

以前私の知っているシニアの方々が、病気のあとに気力や体力がかなり落ちているのを見て、「年を取ってもできる仕事を考えてしまった」というブログを書いたのですが、このような番組を見るとその想いを強くします。

とはいえ、その仕事がどういうものか簡単に思い付くわけではないのですが、少なくともソフトウェア開発のように技術的なことを調査しながら、締め切りに追われるような仕事は気力、体力的に厳しいだろうなとは感じます。

そんなことを考えながら、放送の翌日インターネットを見ていると、山根明さんという80代の方が、起業して「シニア向けスマホ講座」や「すまほ茶屋」というシニア向けのIT講座を展開されていることを知りました。

便利なものに対しては自分に合ったレベルで無理せず関わって行くしかないと思います

昨日は、その時代その時代に便利なものは存在し、それを探し出して活用する人は年齢に関係なくいたと思う、ということを書きました。

現代でいえば、検索を始めとするインターネットのツールを駆使して、時代のトレンドを上手に追いかけている人たちがいます。

一方で、そんなツールを駆使するところまで行かなくても、それを駆使して時代の先端を走っている人を追いかける人、というパターンもありますね。

私は調べたいものがあるときに調べるというごく普通の活用レベルですが、中には調べたいものがあってインターネットを活用できる環境があるにもかかわらず、それをしない方も確かにいらっしゃいます。

そのような方はパソコンやインターネットをあまり使わず、それらを活用しなくても特に困らないような仕事や生活をされているのかもしれません。

インターネットがない時代は、例えばCやJAVAの勉強をしようにも、ちょっとコードを書けば構文が間違っていてエラーになるので、いつまで経っても解説書が手放せず、プログラマーってすごいなと思ったものです。

便利なものはどんな時代にもあり、それを活用する人は年齢に関係なくいたのでしょう

ゴールデンウィークに帰省した同級生と飲んでいて、別の店に行こうという話になってスマホで調べました。

このようなときは当然のようにスマホを使っていますが、スマホが一般的になる十数年前まではこのような光景はなかったんですよね。

今回実際に使ったのは、スマホというよりインターネットですが。

そんなことを考えていたら、インターネットがない時代のことを思い出しました。

その時代で先ほどの状況ではグルメガイドを見るのかな。

普段は本なんか持ち歩かないので、当時だったら店を出て記憶を頼りに別の店を探し始めたと思います。

本を持って行くのは旅行ですね。

以前は旅行ガイドブックを持って行って、その土地の名所や名物を調べていました。

ずいぶん昔に両親と旅行に行ったときに、ガイドブックを持って行ったことがあるのですが、両親はそんな本があることに感心していました。

「地球の歩き方」や「るるぶ」のような本が書店に氾濫しだしたのは1980年代だったような気がしますので、両親が若い頃はそのようなガイドブックを持って旅行するような習慣はなかったのかもしれません。

とはいうものの、若い頃に存在しなかったとしても、買おうと思えば誰でも手に入れることはできます。

四十で迷ったとしてもそう心配することはないようです

昨日は新聞の「比呂美の万事OK」という人生相談のコーナーについ見入ってしまったことを書きました。

伊藤比呂美さんの回答にあるように、50代になると世の中のことが分かるようになるというか、少なくとも自分のことがかなり分かるようになります。

ということは、その前の40代は迷うもの、迷って当然の年代、というようなことをおっしゃっていたのです。

それまで私は、同級生が大企業で支店長としていい業績を上げたり、大都市の一等地にマンションを買ったりしているのを見て、世間では働き盛りといわれている時期に自分は何をしているのだろう、と悩んでいました。

それこそ「四十にして惑わず」のはずなのに、ますます惑ってどうすんねんという感じです。

そこに今回の比呂美さんの回答です。

40代の質問者の方に語られる50代の世界が、私の今の状況と合っているように感じたので、とても納得したんですね。

成人して、自分なりに社会人として最低限の経験をしたといえるのは、10年では足りず、20年くらいはかかるんじゃないかと思います。

そして40歳くらいになって、本来の自分と希望してきた生き方が運よくそれほど違わなかった人が、先ほど挙げた同級生のように働き盛りとして仕事にまい進しているんじゃないか。

40代全員が働き盛りとして仕事にまい進しているわけではないのかもしれません

西日本新聞を読んでいて、「比呂美の万事OK」という人生相談のコーナーについ見入ってしまいました。

回答者は伊藤比呂美さんという詩人の方で、西日本新聞社から同名の本も出されています。

その日の相談者は40代の方で、相談内容もその年代ならではのお悩みです。

比呂美さんはいつも通り、優しいまなざしを向けながらも切れ味鋭い回答をされています。

その回答の中で、四十不惑というが、今は孔子の頃とは違うのであの頃の40は今の60くらいか。なので40代は迷って当然。50代になると世界は今までになくすっきりして、まわりのモノゴトがよく見えるようになる、というようなことをおっしゃっていました。

私はそれを読んで、伊藤比呂美さんと比べるのは恐れ多いのですが、自分が経験してきたこととかなり似ているなと感じて、とても安心してしまいました。

ビジネス書やビジネス系のWEBサイトを見ていると、40代は脂の乗り切った働き盛り。大きな仕事を任せられ社会を支える年代、というような評価をされています。

私は30代で体を壊し、40代もそれを引きずっていましたので、体を壊すまでの生き方に無理があったのではないかとか、これからどういう方向に進めばいいのかなど、40代は悩んでばかりいました。

思い入れがあるものはちょっとしたことで嫌いになってしまうのかもしれません

昨日は、「関ジャム 完全燃SHOW」で先月放送されたヴァイオリン特集は最後まで面白く見たのに、前回の音楽の教科書について解説する回は、すぐにチャンネルを替えてしまったというお話をしました。

自分でもこの反応の違いにちょっと驚いてしまったのですが、音楽は感情に大きな影響を与えるので、苦手な学校の試験の記憶がよみがえってしまって、心が拒否反応を起こしたんですね。

学校の試験は本当に嫌でした。

昨日は、最近ロマン派の音楽はほとんど聴いていなかったとも書きましたが、これも感情の問題だと思います。

ロマン派の音楽はメロディも和声もとても印象的で、しっかり記憶に刻み付けられるので、その曲を聴いていた当時のことを思い出すこともあります。しかも揺さぶられる感情の振れ幅が大きい。

私が特殊なのかもしれませんが、聴いていて疲てしまうのです。

今でも聴けばとても感動すんですよ。

このようなことはあまり考えたことはありませんが、人間思い入れが強いものには、より敏感になってしまうんじゃないでしょうか。

私は大学の頃にクラシック音楽を視聴するサークルに入っていて、そこにはクラシック音楽に対する情熱に溢れた人たちがたくさんいました。

たまに音楽に興味がないのかもしれないと思ってしまうときがあります

市民オーケストラに所属している知人から、定期演奏会のチケットをもらいました。

ドビュッシー、サン=サーンス、ベルリオーズのフランスの作曲家特集みたいです。スゴイ。

指揮者や独奏者にはプロの方を呼ぶようですが、団員の方々がアマチュアとは思えないくらい上手いです。

今の市民オーケストラはレベルが高いですね。

チケットを見ると、サン=サーンスの演目は「ヴァイオリン協奏曲 第3番」とのこと。はて、どんな曲だったっけ?

最近ロマン派の音楽はほとんど聴いていなかったものですから、早速CDを引っ張り出して確認してみました。

そうです、そうです。第2楽章がとても美しい旋律で有名な曲です。しばし聴き惚れてしまいました。

このようなときは音楽はすばらしいなと思います。

そんな経験を数日前にしたのですが、昨日たまたまテレビをつけたら「関ジャム 完全燃SHOW」という番組をやっていました。

ミュージシャンが音楽の解説をしてくれるのでたまに見るのですが、この回は音楽の教科書を楽しく見返してみよう、というような内容でした。

目に入ってきたのは滝廉太郎の「花」のハモリを解説しているところ。「春のうららの 隅田川・・・」の曲ですね。

自分の好きなことと会社の業務が一致していれば会社に取ってもメリットがあるのですが

会社に所属して競馬や競輪のゲームを担当していたときは、一生懸命資料を読んだり、詳しい人に聞いたりして、商品パッケージの説明文や広告のコピーを書いていました。

しかし、資料や人に聞いた内容以上のことは書けないんですね。

独立してから、ある海産物加工品のネットショップや介護職関連のWEBサイトの運営の仕事をしたことがあります。

そのときも多くの資料を読み込んだのですが、資料の内容以上のことは書けませんでした。

前述の競馬ゲームのときは同僚に競馬好きがいて、いろいろと話を聞かせてもらっていました。

贔屓の馬を追い続けてきたり、馬券を買い続けてきたりして、競馬は彼の人生の一部になっていますから、競馬に関することは自分の意見を持っているのです。

ゲームの開発チームと雑談をするときも、とても話が弾んでいるようでした。

しかし彼は営業でしたので自分の業務に忙しく、時間があるときにデバッグを手伝ってもらうくらいで、開発チームに参加することはありませんでした。

私は学生の頃、楽譜作成ソフトで音楽創作活動をしていたので、入った会社がたまたま楽譜作成ソフトを開発していたこともあり、その担当になって経験を活かすことができました。