悩まなくていいことにまで悩んでいた若い頃には戻りたくありません

インターネットで「若い頃に戻りたい」と検索すると、戻りたいとは思わないという意見がかなりあることが分かります。

私も戻りたいとは思いません。

若いがゆえに、悩まなくていいことにまで悩んだり、恥ずかしい行動や発言をしたりしたことは多いです。

話は少し逸れますが、今でもたまに思い出すことがあります。

私が小学校の頃、運動場に全校生徒を集めて、保健所のようなところから来たお姉さんが、歯の磨き方を教える実演がありました。

その際、歯ブラシにタップリ歯磨き粉を付けて、グーの形で歯ブラシをしっかり握って、歯の並びに沿って横にごしごし擦りましょう、と教えられました。

当時歯ブラシのサイズは、今でいう大きめのものしかありませんでした。

今では奥歯まで届く小さな歯ブラシに、少量でいいので歯磨き粉を付けて、ペンを持つように歯ブラシを軽く持ち、歯茎をマッサージするように、横に小刻みに震わせるように磨きましょう、と教えられます。

歯医者さんによっては、歯磨き粉は耳掻き一杯程度でいいという方もいらっしゃいます。

昔と今とでは全然違いますよね。

死ぬときに後悔することと若い頃に戻りたい人

自分が年を取ったせいなのだと思いますが、芸能人の方が亡くなるニュースが目に付くようになりました。

私の知っている方のご親族などに、最近亡くなられる方がいらっしゃったので、余計にそう感じるのですね。

このようなことが続くと、書店でつい「死ぬときに後悔する○○のこと」といった本を手に取ったりします。

書かれていることを見ると、「人間はこういうことで後悔しているのか。自分はそうならないように、ここに書かかれていることをやろう」、とそのときは思います。

しかし、このような、人が後悔する代表的なことは、やろうと思ってもできない代表的なことでもあります。

書いてあること自体は、中年の人であれば、テレビや雑誌や漫画などで一度は目にしたことがあるような気もします。

つまり、遥か昔から人間が共通して感じるもので、繰り返し伝えられてきたものなのでしょう。

それでもやっぱり、自分だけは後悔したくないので、何とか実行するためには・・・というテーマの本があるのですね。

その一方で、ちょっと考え方を変えてみて、死に際して後悔しているときに、タイムマシンが完成するなどして、もう一度若い頃に戻ることができるとしたら、人はどうするのでしょうか。

時代の変化が言葉の意味も変えてしまうようです

私は今まで、バス通りイコール大きな道路だと思っていました。

しかし、いざバスに乗ってみると、環状線を逸れて住宅地の小さな道に入ったりする。

思い出してみると、ASK西村代表のご自宅兼事務所に行くときは、地下鉄姪浜駅から、大きな道路だけでなく、小さな道をあっちに入ったりこっちに入ったりします。

バス会社にしたら、採算を取る必要がありますので当然でしょう。

私が住んでいる福岡市早良区は、北は海に面した福岡タワーから南は標高約1000mの脊振山に至る、縦長の形をしています。

その区を縦断するように国道が走っています。

私が中学生、高校生の頃は、ほとんどのバスが、海に突き当たった場所にある西新という街から、右に曲がって市内一の繁華街、天神に向かっていました。

今でも西新商店街には、おばちゃんたちが野菜などを売っている有名なリヤカー部隊が並んでいます。

そこを利用するお客さんの多くが国道を通るバスに乗って来る、という話を新聞で読んだ記憶があります。

ところが、その国道を途中で横切る形で、天神に向かって地下鉄が走ったものですから、地下鉄開業当時は、リヤカー部隊の利用客が減るのではないかと危惧されたようです。

バス通りという言葉は広い道路を表す時代ではないんですね

先日、免許を更新する時期が来ていたので、打ち合わせで外出するついでに、自動車運転免許試験場に行ってきました。

私は運転免許を、30年以上前に、そこに隣接している自動車学校で取りました。

当時は自転車で30分ぐらいかけて通っていて、辺鄙なところにあるなと思っていました。

地下鉄七隈線開業と同じくらいの時期に、自動車運転免許試験場のまん前に福岡外環状道路が開通したので、車で行くにはとても便利になりました。

打ち合わせは天神でしたので、近くに免許更新センターがあるのですが、その日はたまたまお休みだったのです。

最寄の駅から乗る地下鉄は、外環状道路の下を走っているのですが、福岡大学を起点に、地下鉄は天神方面に、外環状道路は福岡空港の南の端に向かって、それぞれ分かれます。

福大前駅から、外環状道路を走るバスはどんどん出ているはず、と大船に乗ったつもりで家を出ました。

いざ福大前駅に着いて地上に出て、バス停で時刻表を見ると、何と1時間に2本。次のバスは30分後です。

バス停は外環状道路に面していないので、外環状道路に出たらバスもたくさん走っているだろう、と思いつきました。

地図上ではわずかな距離です。

誰も共感する人はいないと思いますが私の居場所ができました

昨日、イスの座面に胸とお腹を当てて、四つん這いの格好をすると、腰の負担が軽減されるので、よくこの姿勢をしているとお話しました。

私だけかもしれませんが、とても気持ちよくなって、意識が遠のくというか、少しウトウトすることが多いです。

今では、仕事で疲れたときにこの体勢をしなければ、休憩した気分にならなくなりつつあります。

よく何かの作業がひと段落すると、タバコを吸いに行く人がいますよね。

私はタバコを吸いませんが、大学生の頃からこのような友達はいましたので、「ちょっと一服」というのは人間共通の休憩方法なんだろうと思います。

この間テレビを見ていたら、サッカーの岡崎慎司選手のドキュメンタリー番組をやっていました。

彼は赤いソファがお気に入りで、家に帰ってくるとそこから動かないといっていました。

同じリクライニングチェアを二脚買って、いつも座っている夫婦を知っていますので、このような好みも人間共通なのかなと思います。

以前、図書館の階段の下の小さな隙間に、スポッと収まってじっとしている子供を見つけてびっくりしたことがあります。

人間も、猫みたいに狭い空間が好きな人もいるんだな、と妙に感心しました。

自分だけの腰痛の緩和方法を発見しました

半年も前の話ですが、正月明けに腰を痛めて、丸一日寝込んでしまいました。

40代になってから、年に数回、腰というか股関節付近から腰にかけて痛くなって、しゃがむのさえ苦しいときがあります。

座ってばかりの仕事なので、その影響だと思います。

以前、番組名は忘れたのですが、椅子に浅く腰掛けた状態で、背もたれにもたれかかる姿勢を続けていると、腰を悪くするとテレビでいっていました。

まさに、私はこのような座り方で何十年と作業をしていたので、腰が悪くなるのは当たり前ですね。

座る姿勢をよくしたり、定期的に立ち上がってウロウロしたり、横になったりするようにしました。

しかし、長時間立っているのも疲れますし、どこにでも横になるわけにも行きません。

横になったら起き上がりたくなくなるのも困ったものです。

腰痛で悩んでいる方は結構いらっしゃるようですが、みなさんどうされているのでしょう。

何かいい方法はないかなといろいろ試していたら、イスの座る部分に胸とお腹を当てて、四つん這いの格好をすると楽になることを発見しました。

もちろん、人がいる所でやるとびっくりされてしまいますので、一人のときにやるのですが。

これからどのように性格や人生が変わるのか興味を持っています

大病や怪我をされた方に比べたら、私の鼻炎なんて可愛いものです。

そして自分でも、ハンデを抱えているとは意識していなかったと思います。

とはいうものの、授業中鼻水が垂れないように集中していたら授業が終わっていたとか、鼻水と口呼吸が恥ずかしくて人目を避ける、というような生活が続いていましたので、今にして思えば、性格にもかなり影響を与えたでしょうし、人生もちょっと変わってしまったかもしれません。

これまで、私の鼻炎の経験だけを語ってきましたが、他にも人からは正常に見えて、本人は困っていたり、症状に気を取られていたりして、日常生活に支障を来たしている人は、たくさんいると思います。

朝礼でよく青い顔をして倒れていた同級生も、貧血なのかもしれないしそうでないかもしれませんが、本人しか知らない辛い病気を抱えていたのかもしれません。

一方で、日常生活で支障はないものの、手術の痕があった同級生は、先輩から柔軟体操を免除されていました。

このように外から確認できるものや、確認できなくてもよく知られたもの、例えば昨日お話した喘息や、今は心の病気として認知されているウツなどは、周りの人も本人も、それを意識しますよね。

持病は重い軽いに関わらず人の性格や人生に影響を及ぼします

昨日、子供の頃は鼻炎に悩まされていたというお話をしました。

漢方薬を始めいろいろな飲み薬を試しましたし、鼻づまりを解消するために、点鼻薬というのでしょうか、鼻の穴に突っ込んでいつも「シュッシュッ」とやっていました。

授業中にノートを取ろうとしても鼻水が垂れてくるので、上の方を向いていなければなりませんでしたし、先生に当てられたときなど、ズルズル鼻をすすりながら発言しなければならなかったので最悪でした。

いつも口呼吸をしていましたので、ドラマなどで主人公が悪役に後ろから口をふさがれるシーンを見ると、ああ、あんなことをされたら自分は窒息死するな、とゾッとしたものです。

今でも季節の変わり目になると、鼻水が止まらなくなるときがありますが、それ以外は鼻水が出ることはほとんどなくなりました。

子供の頃から神経症だったので、鼻炎も腹痛もその影響じゃないかと思います。

自分としては大変だったなと思っていたのですが、大人になるに従って、世の中にはもっと重い症状を持っている人がいることを知りました。

例えば、喘息の方なんてとても辛いと思います。

酷くなると、咳が止まらなくなったり、息ができないほどの発作に見舞われたりするそうですね。

年を取ると昔は感じなかった気候の変化を感じるようになりました

暑い日が続いています。

私の親もそうですが、高齢者の方はかなり参っているようですね。

急に暑くなるので体が対応できないようです。

血圧が高い方などは、ちょっとした気圧の変化で体調も悪くなるようですね。

私は昔から、気候によって体のどこかが悪くなるという人の話を聞いて、そういうものかなと疑問に思っていたのですが、ここ数年、何となくそれが分かるようになりました。

とても暑い日はイライラしたり、逆に寒い日は落ち込んだりするのはもう当たり前で、ちょっとした雨風で衣服が濡れたくらいで、気分がどんよりする。

子供の頃にも同じ感情が湧いていたのかもしれませんが、当時はそれを無視できるほど生命力があり余っていて、すぐに他のことに興味が移るなどしていたんじゃないかと思います。

今ではその感情をじっくり味わってしまうんですね。

その一方で、子供の頃は季節に関係なく、いつも鼻炎と腹痛に悩まされていた記憶があります。

特に鼻炎は酷くて、保育園から小学生の頃は蓄膿症と診断されて、一年中鼻を垂らしていました。

どんなきっかけか忘れましたが、他校の子供たちとの野球の試合でピッチャーをしたときも、鼻水を垂らしていた記憶があります。

「好きなことが継続できること」だと分かるのがおじさんなんだと思います

自分からやりたいと思ったプラモデル作りでさえ、最後までやり遂げることができない。

子供心にも結構落ち込みました。

そんなある日、同級生の家に遊びに行くと、作りかけた状態で放置されたプラモデルを発見する。

バイクのプラモデル、確かホンダのナナハンだったように記憶しています。

それを見たとき、ああ、もしかしたら、プラモデルを最後まで作ることのできる子供は、あまりいないんじゃないかと思ったものです。

しかし、あれだけワクワクしていたのに、一度も完成させることができなかった体験は、継続ということに自信をなくした、大きな原因の一つだと思います。

いつの間にか、自分に飽きっぽい性格だというレッテルを貼ってしまいました。

一つのことに情熱を燃やして、大きなことを成し遂げるアスリートやアーティストを横目に見ながら、歳を取って行くわけですね。

それから30代で独立したり、ハードワークを続けたり、体を壊して療養したりを経て、40歳くらいのときに自分を見つめなおすわけです。

以前にも書きましたが、学生のとき退屈で途中で投げ出した夏目漱石の「吾輩は猫である」が、妙に面白くて最後まで読めてしまう。