定期的に自分の立ち位置を見つめないと迷子になってしまいそうです

MicrosoftやAmazonなどの巨大なIT企業は、手がけていることの範囲が広すぎて、新製品や新サービスが発表されても、将来何に影響するのか想像することさえ難しくなっています。

私が最初にITに触れたときのことを思い出してみると、MSXパソコンで作曲やシンセサイザーの音色編集をやったり、PC-9801でワープロや表計算ソフトをやっているだけで満足していました。

サーバーやネットワークのようなものもなく、やっていることが小さく独立しているイメージでした。

そのうちに、OSがWindowsになってDelphiのようなソフト開発環境が充実してきたり、インターネットが普及してJAVAやRuby on RailsのようなWEBアプリの開発環境が充実してきて、個人でもアプリやサービスが作り出せる時代になって行きました。

自分では大したものは作れないと分かっているのですが、ついどういうものか触ってみたくなります。

私は何かを作るのが好きで、新しいことに「参加できるのがうれしい」と思ってしまうんですね。

しかし参加している実感を得るためには、環境を整えてHello World!を表示させるようなところまでを、やってみないと分かりません。

ここ数日の間に聞いたニュースに時代の変化を感じてしまいました

なぜTypeScriptやBash on Ubuntu on Windowsのことを書いているかというと、TypeScriptがGoogle社内の標準言語として採用されたというニュースがきっかけです。

そういえば、Windows 10のCreators Updateというニュースもあった、と気付いたのです。

Windows上でLinuxが動くというのも、あらためて考えてみるとすごいことだなと。

それからしばらくして、ChromeとFirefoxの今のバージョンでWebAssemblyというフォーマットが標準で動作しているというニュースを見つけました。

何年か前にプログラマーと、asm.jsという、CやC++で書かれたコードをJavaScriptに変換してブラウザで動かせるようにする仕様について、実現したらすごいねと話していました。

そのバイナリフォーマットであるWebAssemblyというのが動いていたんですね。

そして、その仕様策定メンバーにAppleが参加しているというので、記事を書こうと思ったのです。

WEBブラウザでゲームがサクサクと動くようになるんですよね。

WindowsでLinuxが動いていることにもっと驚いています

昨日は、GoogleがMicrosoftの開発しているType Scriptを、社内標準言語に採用したニュースについて書きました。

ではMicrosoftはどうなのかといえば、昨年からWindows 10でBashが動くようになりましたね。

Bash on Ubuntu on Windowsというようですが、昨日のお話よりこちらの方が画期的なように思います。

Windowsが一人勝ちのとき、OSにLinuxが統合されるなんて誰も予想しなかったんじゃないでしょうか。

今回のCreators Updateでは、WSLというLinux Kernel相当の機能の互換性が大幅に向上したということです。

私は画面を分割して編集したいときなど、Windows 7でEmacsのWindows版であるMeadowを使っているので、Emacsがちゃんと動くというのはうれしいです。

昔MacがOS Xになるとき、子供が家庭で使うこともあるパソコンでFreeBSDが動いているなんてすごいことだ、と話題になったことがありました。

しかし、OSのシェアでいえばWindowsの方が圧倒的だと思います。

Google社内の標準言語にTypeScriptが採用されたことに少し驚きました

TypeScriptがGoogle社内の標準言語として採用されたようですね。

Google App Engineが公開されたときに、最初の対応言語はPythonで、次にJavaが対応したように記憶しています。

どちらもGoogle社内の対応言語でしたので、当然といえば当然なのですが、Pythonは日本ではそれほど普及していなかったようで、この件についてはネット上が賛否両論でにぎやかでした。

それほど、Google社内で使われる言語は、Googleのサービスを使う人にとっては影響があるのですね。

ちなみに、ミュースケはTypeScriptで書いています。

弊社プログラマーは、静的型付けの言語じゃないと不安らしいのですね。なので、App EngineもJavaで書いています。

彼はDelphi使いで、最初のバージョンの頃からとても気に入って使っていましたし、TypeScriptも公開されてほどなく使い始めたので、よほど言語設計者の思想と馬が合うのでしょう。

彼から聞いたのですが、設計者はアンダース・ヘルスバーグという方のようですね。C♯も設計されています。

ヴィパッサナー瞑想を行うための論書「アビダルマ」が複雑でめまいがしています

昨日の続きです。

角川ソフィア文庫の「仏教の思想」というシリーズ内の一冊、「華厳」が面白そうだと思ったところまでお話しました。

そしてまた別の日のことですが、最近インターネットや書店でよく目にするマインドフルネスについて少し調べていました。

どうもヴィパッサナー瞑想というものが元になっているらしいこと、そしてヴィパッサナー瞑想は、アビダルマという論書に沿って行うらしいということが分かりました。

「アビダルマ」といえば、「仏教の思想」シリーズの第二巻目じゃないですか。

それまでアビダルマについては、唯識三十頌の作者である世親が、阿毘達磨倶舎論を書いたという知識くらいしかありませんでした。

本の解説には、「アビダルマとは、ブッダが説いたダルマ=法・真理を解釈し、仕上げられた壮大な思想大系を意味する。」とあるのですが、これだけではすぐ読んでみたいとは思えなかったんですね。

さっそく、角川ソフィア文庫の「アビダルマ」の巻と「華厳」の巻を買って、少しずつ読み始めています。

「華厳」の巻には、ヨガを実践する瑜伽行唯識派にも取り入れられた、修行の階梯である十地品の解説もありますので、ヨガや坐禅についての理解も深まるのではないかと期待しています。

マインドフルネスの本を読むきっかけは「仏教の思想」というシリーズです

マインドフルネスがとても流行っているようなので、ちゃんと本を読んでおこうと思ったとお話しましたが、実はもう一つきっかけがありました。

以前、仏教の深層心理学である唯識について興味を持ったので、本を何冊か読んでいた時期がありました。

その中に、角川ソフィア文庫の「仏教の思想」という12冊のシリーズがあって、その内の一冊が「認識と超越 唯識」だったのです。

そのときは、仏教の思想は膨大だから12冊あるのは当然だろうな、くらいにしか思っていませんでした。

シリーズの中には「中観」について書かれた巻があり、「これが唯識と論争していた宗派か・・・」とか、他には「華厳」について書かれた巻があり、「これが河合隼雄さんの本、夢記の明恵上人の宗派か・・・」などと考えて、多少は気にしていました。

玄侑宗久さんの「100分de名著ブックス 荘子」のことを書きましたが、そこには仏教が初めて中国に紹介される際、仏典の翻訳に老荘の思想や言葉が使われたことや、荘子は坐禅に近い坐忘(ざぼう)を行っていたことなどが書かれていました。

あるとき、角川ソフィア文庫の「華厳」の巻の目次を見ていると、「荘子より華厳へ」という項目や、「明恵の華厳思想」という項目を見つけました。

何だか面白そうです。

現代は脳がオーバーヒートしやすい社会なのだと思います

ヨガやマインドフルネスの話題を、本当によく聞くようになりました。

昨日も書いたように、私が子供の頃は「癒し」という言葉を聞いた記憶がありません。

当時の大人たちは、ヨガはもちろん坐禅をする人もあまりいなかったのではないでしょうか。

スマートフォンもパソコンもありませんでしたから、現代のように溢れる情報の中で生活してはいません。

今から考えるとずいぶん牧歌的というか、生活そのものが禅のような感じですよね。

子供の遊びを例に挙げると、質的に変化したのはインベーダーゲームあたりからじゃないかと思います。

それ以前の遊びは、ボードゲームやプラモデルなどもありましたが、はるか昔から変わらない、こま回しや凧揚げやゴム飛びなども、普通にやっていました。

テレビゲームはそれらとはかなり違います。

「信長の野望」という有名なゲームがありますが、発売元がまだ株式会社光栄さんだったときに遊んだ記憶があります。

自分の国を治めるために、軍事や農業や治水など、政治家になったように頭を働かせる必要があるのですが、そんな遊びはテレビゲーム以前にはあまりなかったように思います。

癒しのアイテムの流行はまだまだ続きそうです

最初にマインドフルネスの情報に触れたときは、坐禅や瞑想の一種かなと思いました。

調べてみると、坐禅や瞑想から宗教的な要素を取り除いて、心理療法などに使われているということが分かりました。

マインドフルネスの前はヨガが流行っていたように思います。

ヨガも少し調べてみたのですが、こちらは起源を特定することができないほど古いもののようです。

私がイメージするのは、昔からインドで行われてきたもので、仏教に取り入れられたものが坐禅になったという感じです。

何度か書いてきた大乗仏教の深層心理学ともいわれる唯識ですが、こちらもヨガを実践する学派で、正確には瑜伽行唯識学派といいます。

ヨガの体験からも唯識の教理が生み出されたのですね。

しかしヨガもマインドフルネスも、日本で流行るものはオシャレなイメージです。

表参道や麻布のホットヨガスタジオに、仕事帰りのOLさんが通っているような・・・。

ヨガの前に流行っていたものは何だったでしょうか。

マインドフルネスやヨガのように、書籍や雑誌として数多く出版されていたのは引き寄せの法則だったような気がします。

マインドフルネスは効果がありそうです

以前、マインドフルネスについて簡単な記事を書きました。

そのときはほとんど知識がなかったのですが、インターネットに坐禅との違いについての記事があったので、それを参考にしました。

最近ますます、マインドフルネスについての書籍や情報が増えているようです。

そこで、ちゃんとマインドフルネスについての本を読んでおこうと、香山リカさんの「マインドフルネス最前線」(サンガ新書)という本を買いました。

心理学の方やお坊さんが解説されている本がいいと思っていたので、これはうってつけです。

読み始めていきなり驚いたのは、マインドフルネスはテーラワーダ仏教のヴィパッサナー瞑想というものが元になっているというところです。

テーラワーダ仏教といえば、数年前から精力的に仏教関連の本を執筆されている、アルボムッレ・スマナサーラ長老という方の宗派です。

よく見かけていた方がマインドフルネスに関係があったと知って、ちょっとびっくりしました。

そして次に驚いたのは、対談相手の方々が、マインドフルネスは効果があると仰っていることです。

香山さんは精神科医ですし、熊野宏昭さんという心療内科医の方とも対談されていますので、現場の病院での実情を知ることができます。

私の関わり方は科学者の方には申し訳ない、いい加減な態度だと思います

昨日は、民俗学などの学者さんは仕事上、興味の赴くままにフラフラと寄り道することはできないだろうな、というお話をしました。

私が興味を持っているのは人の心に関することなのですが、漠然としすぎてカテゴリーに分けることもできないと思います。

心理学、民俗学、歴史、・・・小説も好きですし、どれも恐ろしく広く浅い関わり方です。

そう考えてみると、科学はその対極にあるような気がします。

以前、V・S・ラマチャンドラン他著の「脳のなかの幽霊」(角川文庫)のお話をしたと思うのですが、面白い実験結果よりも、客観性を保つための実験の準備の方に驚きます。

有名な、福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)や、本川達雄さんの「ゾウの時間 ネズミの時間」(中公新書)のような本でも同じことを感じます。

このような科学者の方々の実験のおかげで、病気になったときも安定した治療が受けられるのですね。

先日、小松和彦さんの「悪霊論」(ちくま学芸文庫)を読んでいたら、ちょっとびっくりすることが書いてありました。

平安時代、病気の治療のために密教僧が加持祈祷を行っていたのですが、その際、「憑坐(よりまし)」と呼ばれた霊媒も同席します。