水雷屯を四大難卦と考えなくていいと聞いて創造的な易の解釈ができそうです

昨日、河村真光著「易経読本」(光村推古書院)を少しずつ読み進めていることを書きました。

今持っている易経の本と違う解釈のものが欲しかったんですね。

そう考えてみると、悪いといわれている卦(か)の解釈に作者の想いがより反映されているんじゃないかと思って、代表的なものとして四大難卦を比べてみました。

四大難卦とは「水雷屯(すいらいちゅん)」、「坎為水(かんいすい)」、「水山蹇(すいざんけん)」、「沢水困(たくすいこん)」の四つ。

ちなみに私が持っている本で四大難卦を強調しているのは銭天牛著「すぐに役立つ銭流「易経」」(棋苑図書)のみで、本田済著「易」(朝日選書)や高田眞治、後藤基巳共著「易経」(岩波文庫)はそれはありません。

やはり銭さんは占い師ですので「占いの書」寄り、他の二冊は「義理の書」(哲学の書)寄りという違いがあるからでしょうか。

冒頭の河村さんは占い師をされていたようなのですが、「水雷屯」に関しては「決して凶の卦ではない」とおっしゃいます。

易の本の解説にユングや河合隼雄さんの心理療法と同じような態度を感じました

河村真光著「易経読本」(光村推古書院)を少しずつ読み進めています。

易経の本は数冊持っているのですが、易占に寄ったのは銭天牛著「すぐに役立つ銭流「易経」」(棋苑図書)のみで、もう一冊易占寄りの本で違う解釈を知りたかったんですね。

解説を読んでいると、以前ブログに書いたライプニッツやユングが易と出会ったときのエピソードが、さらに詳しく書かれていました。最初からこの本を読んでいればよかった。

さらに易の解釈について書かれている箇所は、河合隼雄さんが心理療法を行う際の態度について書かれている箇所と、似たような印象を受けました。

「要するに卦辞にしても爻辞にしても、言葉をあまり理詰めに考えない方がよい。現実に即して、それを無理にあてはめようとする人がいるが、それはあまり良い方法だとは思えない。いっそ虚心になって、イメージとして浮かび上がるものを摑む以外にない。私は易の言葉の多くは、易の作者が、潜在的な無意識層の思考を、言葉として表したものだと思えてならない。私たちがよく見る夢のように、それは時間と空間の制約されない異次元の世界である。 (中略) 果たしてその夢をどのように判断すべきか、つまり易の言葉を解釈するにはこれと同じ要領である。」

ASKさんの会合で見聞きすることは将来の自分を想像するときとても参考になります

昨日、ASK アクティブシニア交流会さんのビジネス研究会に参加したことをお話しました。

研究会の一部と二部は毎回商材の熱いプレゼンが行われますが、第三部の交流タイムはリラックスした雰囲気で進行します。

そんな中で、久しぶりに出席された八十代の会員さんが近況を報告されました。

とてもかくしゃくとされていて、実年齢より十歳は若く見えます。

お話の中で印象に残ったのは、最近痛くなるのは昔怪我をしたところだとおっしゃるんですね。

スキーで怪我をした膝とか、突き指をした親指とか・・・。

いつか自分もそうなるのかなとちょっと不思議に思ったのですが、それを聞いて先ほど思い出した話があります。

確か名を上げた人たちの人生最後のときにインタビューしたら、自分の誇れることとして、子供の頃先生に褒められたことなどを挙げた、というような内容だったと思います。

私は学生の頃からド近眼だったのですが、老眼になったらどうなるんだろうとか、二十代の頃お酒を浴びるように飲んでいたのですが、これは一生変わらないんだろうかとか、こういうのは若いとき想像できないんですよね。

なので人生の先輩方から「こうなる」と教えていただくと、とても参考になります。

自社の商材をプレゼンされている方々の情熱を見て反省してしまいました

今日はASK アクティブシニア交流会の、月に一度のビジネス研究会の日。

ASKさんには、テスト的に弊社アプリ「楽々談話室」を導入していただいているので、第三部の交流タイムで「まだ使っていない方は使ってみてください」と告知してきました。

ビジネス研究会は、商材をお持ちの方がプレゼンをする第一部と第二部がメインで、第三部の交流タイムは、過去登壇された方が商材のその後の報告や再PRをする場です。

今日の第一部は健康器具を売る社長さん、第二部は健康食品を売る社長さん、第三部は先月プレゼンされた若い農場経営者。みなさん情熱を持って熱く語っていらっしゃいます。

それに比べて私は圧倒的に熱量が低い。これじゃ、いけませんね。

ただ決して情熱がないわけではないのです。

自社アプリはなかなか売れないという現実があるからです。フリーのアプリやWebサービスでさえ使ってもらえません。

既にフリーで定番のアプリがごまんとありますから。

知人の会社のアプリも同じようなものです。補助金が通っても全く売れなかったものもあります。

「楽々談話室」は団体専用のコミュニケーションアプリとして最適だと思います

明日はASK アクティブシニア交流会さんのビジネス研究会です。

この会は商材をお持ちの方が、ASK会員さんたちの前で発表して、会員さんたちがビジネスモデルの検討や販売支援を行うというもの。

毎月開催されており、今回が114回目。歴史のある研究会です。

ただ会員は企業OBで引退されている方々なので、一緒に営業を行うような活動はされません。

そのせいもあってか、一度商材を発表された方が、再度商材をPRされたりその後の状況などを報告されることはあまりありません。

初回の発表と違って、ASKさんから呼ばれていないので、遠慮されているというのもあるかもしれません。

ASKの役員の方も、それじゃもったいないということで、ホームページやメールマガジンで「過去に商材を発表された方はPR時間を差し上げますのでご連絡ください」と告知されているのですが、これらの媒体だけでは対象者に届いていないようです。

なので、少しでも間口を広げるという意味で、弊社アプリ「楽々談話室」もお手伝いできないか考えているところです。

妙なところで想像力が逞しいのと神経症の素質はほぼイコールなんだと思います

昨日も少し触れましたが、私は生まれながらに神経症の素質があるせいか、手をよく洗いますし石鹸もよく使います。

そんなの当たり前だという方も多いでしょうが、子供の頃、冬は手の甲までひどいあかぎれでしたので洗いすぎだと思います。

家族にも親戚にも自分のような人はいません。

数年前から、寒くなり始めると炊事のときゴム手袋をはめるようになりました。

それでも炊事をしないときに石鹸で手を洗ってあかぎれになってしまうので、最近は石鹸の代わりに除菌スプレーを使うようにしています。

よくスーパーの入口とか、病院の病室の入り口などに置いてありますよね。それを見て「これいいな」と思っていたのです。

とはいうものの、解剖学者の養老孟司さんがおっしゃっていたと思いますが、手を洗っても細菌はなくならないし、人間の体にはたくさんの細菌がいるということは頭では理解しているのです。

自分の部屋にいるときや、自分のものを使っているときはさほど気にしませんし。

一方で、人が使う食器や人が食べる食品を触るときはとても気にします。いろいろ悪いことを妄想してしまうんですね。

こういうところが神経症なんだと思います。

一万時間の法則ではないですが軽度の持病に関することは副業として考えられそうです

ここ数日、河合隼雄さんの「<心理療法>コレクション」シリーズを揃えたり、ユングの心理療法に関する本を買ったりしていることを書いています。

なぜこのような本が面白く感じるかというと、自分が心理療法を受けているような気持ちになるからじゃないかと思います。

何度かブログに書いたのですが、私は三十代でパニック障害になって病院に通っていた時期があります。

それにもともと神経症の傾向があって、小学生の頃はストレスから来るひどい鼻炎に悩まされていました。

幸い今は普通に社会生活を送れているのですが、それでも生まれついての神経症の素質はあるなと感じることは多いです。

なので、河合さんやユングの本に書いてあるような心理療法を実際に受けていたとしたら、人生ずいぶん変わっていただろうなと思います。

それに将来考えている仕事が、このような本にかかれていることと一部関係があるので、とても勉強になるんですね。

そもそもこのようなことを将来の仕事の一部にしようと思ったのは、一万時間の法則ってありますよね。それを考慮に入れたからです。

自分の性格を利用してあれこれ手を出す欲望を別の欲望で解消しようと思います

先日、河合隼雄さんの「<心理療法>コレクション」シリーズが面白かったので、ユングの「心理療法論」(みすず書房)などを読み始めたことを書きました。

するとこちらの方も面白い。

つい悪い癖が出て、ユングの本で心理療法以外のものをいろいろ読みたくなってしまいました。

とはいうもののユングの書いた本はたくさんあります。時間がいくらあっても足りません。

先日、河合さんの心理療法に関する本や、民俗学者の吉野裕子さんの全集を全て揃えたい欲望を押しとどめたばかりです。

そのとき調べて分かったのですが、同じ雰囲気のもので統一したくなったりする心理をディドロ効果というらしいです。モノを揃えたくなってしまうのは人類共通の心理なんですね。

それ以降、口ぐせにして、ディドロ効果にハマらないように意識しています。

しかし今度のは、それとはちょっと違う欲望です。

学生時代ならばいくらでも時間があったので、好奇心にまかせて好きなことを続けられたのですが、今は仕事もありますし、おぼろげながら見えてきたワイフワークの準備もしなければなりません。

夢の分析は解釈するよりも鑑賞するような態度で臨んでみようと思いました

河合隼雄さんの本を少しずつ読み進めています。

今日は「イメージの心理学」(青土社)と「ユング心理学と仏教」(岩波現代文庫)を読んでいました。

先日ブログに、普段は夢を見ないけれど、上記のような本の夢に関連する部分を読んでいたら、立て続けに夢を見たということを書きました。

夢を解釈することで潜在意識の状態を知ることができるのではないか、と期待したのかもしれません。

なので、心理療法の教育を受けたことはないのですが、河合さんの本の中に解釈する方法のヒントが書かれていないか意識しています。

そんな中、「イメージの心理学」に次のような箇所がありました。

箱庭療法を受けた患者さんが作った作品に、河合さんがなるほどと納得できる解釈を施されたあと、次のように書かれています。

「このような考えは、おそらくあまり間違ってはいないだろう。しかし、このイメージをそのことだけに限定してしまうこと、および、クライエントに対して「自我の確立」という方向性を与えてしまうこと、は大きい危険性をはらんでいないだろうか。」

それに加えて、「その人の極めて個性的な面を見落としてしま」う可能性などの怖さを指摘されています。

そして次のような態度で臨むことを強調されています。

定番の食材が揃っているおせちは今後少なくなって行くのかなと思いました

今年もおせちを注文する季節になってきました。

もう何年も前から、うちではおせちを作らずにお店で注文しています。

昔は近所にある料亭に注文していたのですが、数年前からスーパーやコンビニのおせちの方がバリエーションも豊かで豪華な感じがするので、そちらに変えました。

ただちょっと困るのは、豪華なタイプはアワビとか和牛のような高級食材がメインだったりして、家族の者はそこまで好物ではないので、選ぶとき迷ってしまうんですね。

もちろん世の中には好きな人が多いので、このようなメニューになっているのは分かるのです。

今でこそおせちの見た目の華やかさにワクワクしますし、私自身は何でも美味しくいただけるのですが、子供の頃に美味しいと思った記憶はありません。

覚えているのは、お餅を何個食べたと自慢していたことくらいで、子供の好物はあまり入っていないように思います。

それは元々おせちが保存食だったからであって、それに加えて縁起物を集めて作るとあの形になりますよね。

普段は自分の好みのものばかり食べているのに、お正月だけはおせちという料理をみんなで食べるわけです。

子供でなくても苦手な人は多いのかもしれません。