往年のスターが表紙になる洋楽雑誌というジャンルは珍しいと思います

私はクルマも好きだったので、子供の頃からたまに自動車雑誌を買っていました。

洋楽雑誌との大きな違いは、購読者数の多そうなメジャーな自動車雑誌は、昔のクルマを載せる割合が少ないということです。

自動車会社がスポンサーについていて、読者に新車を買ってもらわなければならないからでしょう。

しかしクルマの場合は、好きな人の絶対数が多いので、旧いクルマが好きな人向けに、レストア雑誌や旧車雑誌などのジャンルが存在しています。

クルマの歴史は、ガソリンが燃料のものでさえ100年以上ありますから、旧車マニアが多いとはいっても、編集者は的を絞りにくいでしょうね。

私の母の弟、叔父はちょうど団塊の世代なのですが、私が小学生の頃、「サーキットの狼」を一緒に読んでいたときのことです。

登場人物の一人、隼人ピーターソンが「ユーたちは日本の名車を知らないのかい?」みたいな台詞をいったとき、私が叔父に「何だか分かる?」と聞いたら、即座に「2000GTだろ」と答えていました。

マニアじゃない人にも憧れのクルマがあったようですから、当時のモータリゼーションの浸透はすごかったんだなと思います。

そう考えてみると、GT-RやS30型のZなんて、驚くほど旧車好きの定番でいる期間が長いです。

中学生の頃にハマっていたことを思い出しました

子供たち相手の商売の話で、私が小学生だった頃は駄菓子屋に通っていたお話をしました。

中学生になったとたん、私は洋楽にハマりました。

お小遣いも少し増えますし、親からもらった、土曜日のお昼にパンを買うお金を節約して、貯まったお金でレコードを買っていました。

何でこんなことを思い出したかというと、最近、当時聴いていたミュージシャンが亡くなるんですよね。

年末にELPのグレッグ・レイクが、先月にキング・クリムゾンのジョン・ウェットンが・・・。

デヴィッド・ボウイの回顧展もやっているので、特にそう感じるのかもしれません。

私の歳からして当たり前のことなのですが、私が学生の頃読んでいた洋楽雑誌と、今の洋楽雑誌に書いてあることの大きな違いは、昔は亡くなる人がほとんどいなかったことです。

私が聴き始めた1970年代の中頃は、ロックスターはみんな若かったのです。

ですので、レコード・コレクターズの2月号でキング・クリムゾンが特集されていたり、新しいPlayerの表紙がジェフ・ベックだったりするのを見ると、何だか不思議な気持ちになります。

ローリング・ストーンズが新譜を出したことなんて、本当に驚きですよね。

子供たちが集まるお店のようすは今も昔も変わらないようです

昔から子供たち相手の商売はありました。

私の親より上の世代でしょうが、紙芝居もそうですし、飴細工もそうですよね。

中には、子供をだまして小金を稼ぐ人もいたらしいです。

私は小学生のとき、駄菓子屋に入り浸っていた記憶があるのですが、今でも駄菓子屋はあります。

何十円か持っていれば、お菓子が買えたりゲームができたりするのですから、子供にとっては夢のような場所でした。

そこにあったゲームは、指で弾く小さなパチンコ台や、スマートボールのようなものだったと思います。

話は現代に飛ぶのですが、福岡にはアプライドというパソコンショップのチェーン店があります。

私の家の近くのショップは、自作パソコンのパーツ売り場が充実していたので、よく利用させてもらいました。

ところがあるとき、そのフロアが同人ゲームなどのゲーム売り場に改装されていたのです。

ちょっとショックを受けました。

近くのTSUTAYAも、いつの間にか、売り場の一部がゲームコーナーに改装され、子供たちがたむろしてワイワイ騒いでいます。

改装前と比べて来客数が大幅に増えました。そしてそのコーナーに大人の姿はありません。

スマホを持っている子供たちがテーブルゲームのあるお店に出入りする不思議

私がよく行くディスカウントストアの近くに、昔からやっているゲームセンターがあります。

ゲームセンターといっても、木枠のガラス引き戸の駄菓子屋さんのようなお店です。

バス通りに面しているので、このような古い作りの家はここだけなのですが、お店の前には子供たちの自転車がいつも停まっています。

中が見えないようにシートで囲ってあるのですが、テレビゲームのテーブルが置いてあるような感じです。

今の子供は、任天堂やソニーのテレビゲームを持っているでしょうに、なぜこのようなお店に集まるのか。

私はよく知らないのですが、子供たちに人気のトレーディングカードのようなものを売っているのかもしれません。

ディスカウントストアに行くたびに不思議に思っています。

私もインベーダーゲームが流行った頃のことは覚えています。

高校生の頃だったと思うのですが、子供が大金を使うので社会問題になりました。

私は下手で百円玉がすぐになくなるので、あほらしいと思ってほとんどやりませんでした。

当時は小さな喫茶店にも、インベーダーゲームなどのテーブルゲームが置いてありました。

まじめなやつだと思っていた同級生も、インベーダーにハマって毎日通っていたんですよね。

どこでもインターネットができるので暇という感覚が分からなくなるかもしれません

WiMAXのように手軽にWi-Fiを持ち歩けるようになれば、街中でパソコンを広げている人を見かけるようになるかもしれませんね。

今電車の中では、ほとんどの人がスマホの画面を見ています。

スマホが普及する前は何をしていたのでしょうか。

私が東京にいた頃は、漫画を読んでいる人の割合が多かったように記憶しています。

私たち社会人は、モーニングやビッグコミックスピリッツなどを読んでいたように思います。

高校生までは地元にいて自転車通学だったので分かりませんが、電車に乗っている人は新聞や雑誌を読んでいたのではないでしょうか。

たまにバスに乗るときは、私はウォークマンで音楽を聴いていました。

私が電車で一番暇だったのは、帰省するときの新幹線でした。博多まで6時間かかります。

あるとき東京駅で乗ると当然ながら満席で、前の方の席でおじさんがスポーツ新聞を広げていました。

新大阪過ぎてだったと思うのですが、空席も少し目立ち始めます。

そのおじさんが新聞を置いて降りた席に、今度は若い男性が座って、その新聞を読み始めました。

インターネットとクラウドが浸透して現実感が希薄になって行きました

私がniftyと契約した当時、パソコン通信はNIFTY SERVEの他に、NECのPC-VANというのもありました。

パソコンは、NECのPC-8801シリーズやPC-9801シリーズの他に、富士通のFMシリーズやシャープのX68000というのもありましたね。

パソコンも通信も日本のメーカーばかりだったような印象があります。

秋葉原のBit INNというNECのショールームには、NECの最新パソコンがずらっと並んでいたので、ソフトの動作チェックに行った記憶があります。

パソコンのソフトは、フロッピーディスクでパッケージ販売されていましたので、自分が担当したゲームソフトや音楽ソフトのことが気になって、「目立つ場所に置かれているかな?」と、よくパソコンショップに出かけていました。

ハードディスクが普及していなかった当時は、ソフトを起動したりデータを保存したりするたびに、フロッピーディスクドライブがガチャガチャと音を立てていましたし、昨日お話したように、パソコン通信をするときはモデムがピーピーガーガー鳴っていました。

パソコンショップにいたら、自分の担当したソフトをお客さんが手に取り、レジに持って行く光景を目にしたことがあります。

「おお、売れた!」と感動しました。

niftyはパソコン通信の時代から使っていましたが当時の記憶はあまりありません

前回、niftyさんとの付き合いは二十数年というお話をしましたが、それだけ長かったので、移行は大変かなと思っていました。

しかし、「@nifty.com」というメールアドレスは個人でしか使っていませんでしたし、ブログサービスのココログは、Score Magazine使い方ブログで使っていただけでしたから、それほど大変ではありませんでした。

niftyを使い始めた頃、インターネットはまだなくてパソコン通信が一般的でした。

niftyのサービスはNIFTY SERVE(ニフティサーブ)といっていました。

モデムがピーピーガーガーと鳴って回線に接続します。

当時勤めていた会社には、回線が一つしかありませんでしたので、他の人が使っていたら、それが終わるまで待たなくてはなりませんでした。

主に技術の人が使っていて、私はほとんど使っていませんでしたので、当時何に利用していたのか忘れてしまいました。

プログラマーとデータのやり取りをしていたのではないかと思います。

Windows 95からインターネットが普及して行きますから、それまでは使っていたはずなのですが。

niftyのADSL接続サービスが終了したのでWiMAX 2+に変えました

昨年niftyより、ADSL接続サービスが2017年2月末に終了するので、ソフトバンクのADSLに変更してくださいという通知がきました。

今後はTabletを持ち歩いてプレゼンする機会も増えるでしょうから、WiMAX 2+というサービスに変更しました。

niftyは私の最初のインターネットプロバイダで、それ以降変更していませんから、niftyさんとの付き合いは二十数年になります。

ADSLにしたのはいつだったか、忘れたくらいはるか昔です。

そのうち光回線をみんなが使うようになれば、ADSLより安くなるだろうから、そのとき変更しようと思っていました。

ところが、いつまで経ってもADSLより微妙に高い。

私は動画はほとんど見ませんし、何かをダウンロードしている最中も他のことをしていますから、速度は気になりません。

今は変更したWiMAX 2+を使っているのですが、速くなったのか遅くなったのか分かりません。

関係ないですが、私は昔、YAMAHA SR400というバイクに乗っていました。

20馬力台でスピードが出ないという人もいるようですが、私には普通に速かったです。

点字楽譜の入力方法は一般的な楽譜ソフトに採用されてもいいように思います

MIDI規格の演奏情報では、音階を0から127の数値で表し、これをノートナンバーと呼んでいます。

ピアノ鍵盤中央「ド」のノートナンバーは60、オクターブ下の「ド」は48、逆にオクターブ上の「ド」は72となります。

ミュージックシーケンサーのイベントリストに表示する際は、ノートナンバーの数値では分かりにくいので、60を「C4」で表すことがあります。

オクターブ下の48は「C3」、中央「ド」の半音上の61は「C#4(Db4)」となります。

しかし、YAMAHAの音源などの機材やソフトでは、ノートナンバー60を「C3」で表します。

この「C3」、「C4」のような表記は統一されていません。

点字楽譜の表記は統一されています。

点字楽譜 to ミュースケ」の解説をご覧いただくと分かりますが、「C3」や「C4」のオクターブを表す数値は、点字楽譜では「音列記号」となります。
http://mappli.net/br2muske/

ドラムパートは点字楽譜の記譜法ではありませんのでご注意ください

点字楽譜toミュースケ」のWEBページには、ミュースケの「ドラムトラック」に変換するために「ドラムパート」入力欄があります。

ミュースケの「ドラムトラック」はドラム譜専用パートですので、点字楽譜におけるドラム譜の記譜法を探したのですが、見つけることができませんでした。

ミュースケはMIDI規格に対応していますので、MIDIの約150種類の楽器音を使って演奏させることができます。

ポピュラーミュージックを演奏させたい方は、バスドラムやスネアドラムなどのドラムセットを使いたいでしょうし、ラテンミュージックでは、コンガやマラカスなどのパーカッションを使いたいのではないかと思います。

ですので、「点字楽譜toミュースケ」の「ドラムパート」に入力する音符は、正式な点字楽譜の記譜法ではなく、MIDIのノートナンバーを入力することで対応しています。ご注意ください。

例えば、ピアノ鍵盤中央「ド」のノートナンバーは「60」、ハイハットクローズとオープンのノートナンバーはそれぞれ「42」、「46」となります。

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